細長~い巨大建物跡 野々市「横江ゴクラク寺遺跡」 南北30メートル、鎌倉前半の公共施設か
野々市市教委は12日までに、同市郷2丁目の「横江ゴクラク寺遺跡」で鎌倉時代前半とみられる建物跡を確認した。南北に約30メートル延びる長屋のような建て方で、市教委によると、規模が大きく細長い建物跡は珍しい。何らかの機能を持つ公共の場だった可能性が大きく、さらに調査を進める。 横江ゴクラク寺遺跡は白山市に隣接し、近くに国史跡東大寺領横江荘遺跡(同市)がある。民間開発のため北陸新幹線北側の約1500平方メートルで4月から埋蔵文化財調査を進めていた。 地表から約50センチ下に掘っ立て柱建物の柱穴約400個が見つかった。柱穴は直径45センチ前後で、2・2~2・4メートルの等間隔の列で並び、南北に約30メートル、東西に約5メートルの建物の柱跡とみられる。柱穴は少し横にずれるように別の1棟分が確認され、建て直された跡と考えられる。 細長いことから、集会所や市場など公共性の高い施設だったとみられる。近くでは県埋蔵文化財センターの過去の調査で中世の道の遺構が見つかっており、周辺が中世の要衝だった可能性もあるという。 溝や井戸跡も見つかった。溝からは素焼きの土師(はじ)器の皿が大量に出土したほか、青磁や白磁などの中国製の磁器、珠洲焼のかめの一部も見つかり、特徴などから鎌倉時代前半の遺跡とみられることが分かった。 横江ゴクラク寺遺跡は40年ほど前に一度、ほ場整備で調査されていたが、中世の遺跡としか分かっていなかった。鎌倉時代後半の「扇が丘ハワイゴク遺跡」など鎌倉時代の遺跡は市内で少なく、市教委の担当者は「歴史の空白の時代を埋める遺跡として価値がある」と話した。 市教委は15日午前10時から、現地で一般向け説明会を開き、出土品も一部見ることができる。現場は調査が終われば埋め戻される。