尾崎繁美さんが33回忌を終えて振り返る、夫・尾崎豊が天国へ逝ってからの32年
1992年4月25日、26歳の若さで旅立ったシンガーの尾崎豊さん。彼が突然旅立ってから今年で32年、33回忌を迎えます。尾崎さんと18歳で出会い、20歳で結婚、21歳で息子・裕哉さんを出産し、24歳で夫の死別を経験したのが、妻の尾崎繁美さん。 【画像】命日に必ず備える尾崎豊が好物だった、妻の繁美さんお手製の特製餃子 長く封印してきた豊さんとの想い出を解き、没後30年を機に連載『30年後に語ること』として発表。2023年7月からは、豊さんが旅立った後、息子の裕哉さんとともに歩んだボストン母子留学の日々を新連載『笑顔を守る力』として寄稿しています。 前編では、先日33回忌の法要を済ませた心境について寄稿いただきました。後編では、今まで32回の命日をどのような気持ちで、過ごされてきたのか。また、現在56歳になった繁美さんが改めて、尾崎豊というアーティストを振り返って思うことについて執筆いただきました。
命日は一人「餃シャン」で
今まで様々な命日を過ごしてきましたが、ここ15年は一人郊外で新緑の草木に包まれながら穏やかに過ごしています。20代、30代、40代、そして今は50代と長きに渡り色んな過ごし方をしてきましたが、変わらずに行っているセレモニーがあります。 それは、豊が大好きだったシャンパンと餃子で献杯することです。 豊はドンペリニョンというシャンパンが好きだったので、できるだけドンペリを仏前にお供えしてきました。今年は33回忌なので、ロゼのドンペリを用意しました。 餃子が大好きで、もしケンカしたら仲直りの方法に餃子を作るという約束があったくらい、私の料理の中では一番好きなメニューでした。私が作る餃子はシンプルな尾崎家の餃子を改良したものです。家庭で作る餃子ですがちょっとパンチがあって、ニラと黒胡椒が多めで、生姜は入れますがニンニクは入れず、キャベツも入れ、白菜は浅漬けを使います。あと紹興酒も少々入れます。白菜の浅漬けを使うようになったのは、買い物に行けないのに餃子が食べたいと言われた時に、白菜の浅漬けを代用して作ったら美味しかったからです。餃子の皮は常に冷凍庫にありました。 シャンパンと餃子で過ごす「餃シャン」が定番です。記事が公開される日も私は豊が大好物だった餃子を作っていることでしょう。 裕哉が小さい頃は命日は一緒の時がほとんどでしたが、ここ15年は別々に過ごしていることが多いですね。お墓参りとお寺でのご供養は一緒ですから、あとは干渉しないです。もう大人ですし、近年、命日にコンサートをしたことも一度ありました。 そして、どこで過ごしていても変わらないことは、“12:06”に空を見上げて黙祷することです。あとは心晴れやかで気の向くままに過ごすことが大切だと思っています。