三国志ブームは止まらない!舞台『パリピ孔明』の見どころと三国志演劇の「ふたつの潮流」
長年の疑問に対する「一つの答え」
今回、舞台『パリピ孔明』を観ている最中、同じ空間に生きている孔明をリアルで感じた私は、“なぜ江戸時代に、日本を舞台にした三国志演劇が作られたのか”という長年の疑問に、一つの答えを得ました。 日本では、江戸時代に、小説『三国志演義』が和訳され、一大三国志ブームが沸き起こります。パロディ小説や川柳、お祭りの山車、見世物、五月人形など、さまざまな場面で三国志が扱われたのですが、もちろん演劇でも、三国志が取り上げられました。 その中で、お芝居の世界の三国志は、日本風に変更されたものでした。歌舞伎十八番にもなった「関羽」という演目は翻案もの。舞台や登場人物を日本に置き換えながら、「でもこの人物、実は関羽なのだ」というのです。 もっと分かりやすい例だと、パロディ小説に、孔明を江戸の番頭さんにして、花街で遊ばせるものがあります。古代中国・三国時代の孔明ではなく、江戸時代を生きる諸借金孔明なのです。(江戸時代に花開いた三国志の面白文化について、詳しくお知りになりたい方は、拙著『愛と欲望の三国志』をぜひご覧ください) 私は、長年、どうして三国志自体を描かずに、舞台を日本に移すのだろうと疑問に思っていました。 観客や読者に対して分かりやすいからかなと考えていましたが、推しに同じ時を生きて欲しいという感覚を、おそらく江戸時代の人たちも持っていたのではないでしょうか。私は今回、舞台『パリピ孔明』を観て、大好きな孔明先生が同じ空間にいる喜びの大きさというものが、舞台の上にいる現代日本に転生した孔明を見て、初めて腑に落ちました。 江戸時代の日本を舞台にした三国志ものは、ファン心理が生み出したウルトラCなのかもしれません。 一方で、三国時代を描く演劇も、明治以降、上演されてきました。 1909年に本郷座でかかった新派劇「孔明」と、1926年に帝国劇場でかかった「妖婦」は、共に台本が残っているので、三国時代のお話だったことが、はっきり分かります。また、平成以降のスーパー歌舞伎もそうですね。 ところで、私は冒頭で、令和の三国志ブームが続いていると言いましたが、『パリピ孔明』ブームでは、と思った方もいらっしゃると思います。 今年の三国志演劇は舞台『パリピ孔明』だけではなく、4月に明治座で、剣劇「三國志演技~孫呉」が上演されました。こちらは、三国時代を描いたお芝居です。 剣劇「三國志演技~孫呉」は、三国志を愛する俳優・荒牧慶彦さんが企画したもので、主人公は、周瑜と孫策。断金の交わりとも言われる、二人の若者の友情を描く物語。 三国志もの全般としても、呉にフォーカスした作品はまだ少ないのですが、私が把握する限り、日本で三国時代を描きながら蜀と魏の人物が登場しない、初めての三国志劇です。 個人的には、周瑜と孫策以外の要素を削いでいくことで、二人に焦点を当て、物語の面白さを伝えることに特化している印象を持ちました。 こうした三国時代を描く演劇は、三国時代を描きながら、同時代的な価値観をぶつけることで、観客の共感を誘う点が共通しています。 例えば、剣劇「三國志演技~孫呉」では、孫策の死に至る理由を、于吉仙人ではなく、シェイクスピア劇をモチーフに描いていて、現代の観客にも共感しやすく造形されています。 推しを同時代に引き寄せるか、歴史の中において今の観点から理解しようとするかの違いはありますが、どちらも、三国時代の人々の生き様を目の前で感じたい、という観客の熱量が、三国志劇の原動力なのではないでしょうか。 つらつら綴って参りましたが、舞台『パリピ孔明』は、初めての方も、原作、アニメ、ドラマに触れた方も、どちらも全力で楽しませてくれる作品です! 会場で、また配信で、ぜひご覧ください! It’s Party Time!
箱崎 みどり