メジャー含めた争奪戦で巨人に入団したタフネス左腕 負けても負けても投げ続けたエース兼抑えの切り札
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第28回は新浦寿夫。 * * * 負けても負けても新浦寿夫は起用され続けた。 1951年5月11日、東京都出身。静岡商1年の68年夏、甲子園に出場し、準優勝。全6試合を一人で投げ抜き3完封、1失点完投が3度だった。韓国籍で当時はドラフトの必要がなかったためメジャーを含めた争奪戦に。同年9月に中退し巨人と契約した。 2年間は左肩を痛めて登板がなかったが、71年4月29日の阪神戦で初先発初勝利を挙げ、V9最終年の73年は3勝。74年は威力のある真っすぐとカーブを武器に7勝1セーブ。 長嶋監督の1年目の75年。先発にも救援にも起用されたが2勝11敗の成績に終わり、最下位の原因と批判も受けた。 しかし、結果が伴わない中でも登板を続けた成果が翌76年から発揮される。同年11勝5セーブ、77年11勝9セーブとV2の立て役者となり、76~79年は実に202試合に登板し、4年連続2ケタ勝利。特に77、78年は連続の最優秀防御率に加えて2ケタSP、78年には最優秀救援投手も獲得するなど、エース兼抑えの切り札という大車輪の働きを見せた。 83年で退団後は、韓国・三星に3年間在籍。87年に大洋に復帰しカムバック賞を受賞。ダイエー、ヤクルトでもプレーし92年に引退した。
報知新聞社