「25歳の時に来るべきだった…」杉良太郎が鹿屋航空基地初訪問 70年特攻隊役ゆかりの地で自衛官に講話
歌手で俳優の杉良太郎(79)が15日、「知って、肝炎プロジェクト」「ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦~」の活動の一環として、鹿児島・海上自衛隊鹿屋航空基地を初めて訪れた。約1時間、海上自衛隊員ら100人を前に講話。「皆さんの日々の訓練によって日本が支えられています。健康に留意し、家族を大事にしてほしいと思います」と激励した。 雲一つない青空を見上げ、思いをはせた。「特攻で、ここから錦江湾(きんこうわん=鹿児島湾)に飛び立っていったのかという実感が湧きました。時間はたちましたけど、来ることができて良かった。感慨深いですね」 1970年に映画「花の特攻隊 あゝ戦友よ」(森永健次郎監督)に主演し、鹿屋海軍航空隊に配属される特攻隊員の青年を演じた。当時25歳。血気盛んで役にのめり込んだ。「経験不足で芝居が下手。若さしかないですから。隊員の遺書を読むうちに(感情が)乗り移って。毎日、特攻に行く夢を見ていました」 この日は管制塔などを見学。旧日本海軍創設期から第2次世界大戦に至るまでの資料や特攻隊員の遺影、遺書が展示された史料館では、足を止めて、職員の説明に熱心に耳を傾けた。 「特攻に行って、生き戻って帰ってきたような気持ちになりましたね。(撮影から)55年かかってすいませんと(伝えました)。25歳の時に来るべきだった…。自分にできることは?と考えた時、平和を維持することに全力を尽くさなきゃいけないという決心というか、思いが巡りました」 同県には、これまで何度も訪問。アジア国際子ども映画祭(07~10年、指宿市)の開催、焼き芋焼酎「鹿児島大地」のプロデュースなど多岐にわたって尽力してきただけに、「今後も鹿児島のため、平和のために何かしたい」と誓った。 杉は「国のために10代で命をささげた若者がいるという、ゆるぎのない事実がある。歴史をたどるのは必要な体験ですから、若い人たちに知ってほしい。平和がどれほどの重みがあるか、実体験してほしい」と願った。(加茂 伸太郎) 福祉活動理解を 〇…杉は長年、社会貢献活動を続けてきたが「強制されたものではなく、自主的に芽生えてきたもの」と説明。「自分がどうにもならなくなったら、いつやめても良し。やれるようであれば、いつまでやっても良し。それをモットーにやって来たから、長く続いたのかな」と話した。「お金がある人は寄付すればいい。お金がない人は時間を出してあげたらいい。お金も時間もないなら、福祉活動をしている人を理解してあげてほしい」と説いた。
報知新聞社