【対馬丸撃沈から80年】事件生存者の“語り部”は2人だけに 遺族にすら隠された“真実”…「父がいた」64年後に知った人も
■「戦争は本当に残酷です」
広島には、船舶砲兵部隊の慰霊碑があります。2022年6月、清子さんは、この碑に花を供えていました。 国のために隠された対馬丸の沈没──。父の死の真相を知り、清子さんは「母や私たちのことを思いながらも、沖縄の子どもたちのことも、一生懸命守らなくちゃという気持ちが強かったんじゃないかと思うんですね。戦争は本当に残酷です」と涙をぬぐいました。
【取材した日本テレビ元社会部・久野村有加記者 対馬丸事件80年に思うこと】
取材でお話を伺った上原清さんは、その後ランニング中に転倒する不慮の事故で、残念ながら語り部をすることはできなくなりました。いま対馬丸記念館で把握する限り、いまも語り部として活動する事件の生存者は2人だけになっているそうです。一方で、対馬丸事件の資料を保存する那覇市の「対馬丸記念館」には事件から80年が経つ今でも、遺族から新たな遺影などの提供があるそうで、語り部が少なくなっていく中で、記念館の役割はますます重要となっています。