“95歳のゲイ”が時代の変化を実感「ゲイの人がぎょうさんいるとは知らなかった」 かつては精神疾患とされた同性愛...差別・偏見の中で生きてきた人生
長年「ゲイ」であることを隠し、孤独の中で生きてきた95歳の男性。かつて同性愛は“一種の伝染病”や“異常性欲”だと考えられ、男性は「ものすごく生きづらかった」と振り返ります。そんな“95歳のゲイ”は今、時代の変化を感じているようです。 【画像を見る】長谷忠さんの若かりし頃
「男と男の恋愛、女と女の恋愛も、少しも恥ずかしいことはないで」
今年5月14日、同志社大学の授業に招かれた長谷忠さん(95)。長谷さんは同性愛者で、誰かと交際したことも性交渉の経験もありません。同性愛が病気とされていた厳しい時代を生き抜いてきました。 (長谷忠さん)「みなさん聞いたことあります?LGBTというの。活字で読んだこともあるの?あぁ、うなずいているね、みんな。知っているわけね。自分でLGBTやと思った人はいる?自分でそう思っている人もいるの?えらいわ。だけど、それを秘密をしているやろ?言ってる?」 (学生)「うん、言ってます」 (長谷忠さん)「開けっ放しやな、えらいわ。なかなかそれを言われへんのよね。同性愛者が汚らわしい、汚いという考えを昔は持っていた。今は同性愛者って言われても、そこそこは理解のある人が増えているかと思うんですけどね。男と男の恋愛、女と女の恋愛というのも、少しも恥ずかしいことはないで」
詩や小説の中で“本当の自分”をさらけ出す「ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやった」
大阪市西成区で、月12万円の年金でひとりで暮らしている長谷さん。部屋の壁には、雑誌や新聞紙から切り抜いた好みの男性の写真を貼っています。 (長谷忠さん)「なんていう人か知らんねん、わからへんねん、この人、どこの人か。年格好はわかる。この顔が一番好きやねん。いいと思うやろ?」 長谷さんは時間があると、短歌や俳句をしたためます。実は、過去に詩集や自身の半生を描いた小説を出版しています。創作活動の時に使う名前は「康雄」。34歳のときに、詩の新人賞で最も歴史のある「現代詩手帖賞」も受賞しています。 (長谷忠さん)「僕の場合は文学に惹かれたのが大きかったよ。ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやったからね」 本当の自分をさらけ出すことができたのは、「康雄」の名で書いた詩や小説でした。1960年代の自らを描写した小説には、次のような一節があります。 『男たちに誘われて温泉地のストリップショーを見に行っても少しも楽しくなかった。(中略)男子部員の手前もあって興奮した顔をしていた』 『よほどの覚悟がなければ生き通すことはできない。(中略)性を通しての自分に対する一生の恨みつらみであり、運命への憎しみでもある』