標的の癌細胞だけを免疫システムが狙い撃ち...進化型AIを駆使した「新たな癌治療」とは?
鍵を握る「腫瘍微小環境」
これはある意味で大胆な決断となる。従来は、試験段階の免疫療法を行うのは大腸癌の約3分の1を占める転移性癌の患者に限られていた。残りの3分の2には放射線治療・化学療法・手術という標準療法が行われる。 ただ大腸癌の場合、これらの治療は不妊、性機能の低下、直腸の切除といった深刻な影響をもたらしかねない。そこでディアスらは新たな治療を試す価値があると考えた。 結果は期待をはるかに超えた。患者全員が標準治療を受けずに済み、しかも「うち3人は子供をつくれた」と、ディアスは興奮気味に話す。「今のところ再発もない。科学的見地からは非常に興味深い結果だ。そこから多くの疑問が生じる。まず知りたいのは何が起きているか、だ」 早期の介入が治療効果を高めたのは確かだが、それだけでは説明できないと、ディアスは言う。確信はないものの、早期には遺伝子の変異がさほど蓄積しておらず、癌が周囲の組織に浸潤して免疫反応を回避する「とりで」を築く時間が十分にないせいかもしれないと、彼はみている。 また骨や肝臓、脳などの組織には免疫反応を抑制する「骨髄由来抑制細胞」がある。癌が直腸で初発した場合は、こうした細胞がないため免疫療法がよく効くのかもしれない。 腫瘍学の研究における最も有望な仮説の1つは「腫瘍微小環境」、つまり個々の腫瘍を取り巻くタンパク質などの分子が作るミクロの環境が、免疫療法の有効性を決める大きな要因ではないか、というものだ。ただ、微小環境を考慮に入れると、問題が一気に複雑になる。膨大な数のタンパク質と、それらの相互作用が絡んでくるからだ。微小環境を可視化できる新たな撮像技術も必要になる。 テキサス州ヒューストンのMDアンダーソン癌センターの免疫学者・腫瘍学者であるパドマニー・シャーマは新技術の威力を目の当たりにした。免疫学者アリソンの長年の共同研究者で妻でもあるシャーマは12年、患者の腫瘍から採取した組織標本を使い、腫瘍微小環境を構成するタンパク質を分類し始めた。 腫瘍にはT細胞が入り込んで癌細胞を攻撃できる「熱い」腫瘍と、免疫細胞を寄せ付けない「冷たい」腫瘍があるが、その違いに絡むタンパク質を特定しようと考えたのだ。程なくチームはT細胞の活動を大幅に高めるタンパク質である「誘導性T細胞共刺激因子」を特定した。だが特定するだけでは治療に生かせない。 スタンフォード大学の免疫学者、ゲーリー・ノーランが18年、こうしたタンパク質が腫瘍のどこにあるかを正確に示す撮像技術、言い換えれば腫瘍微小環境のマップを作成できるツールを開発した。 「インデックス化による共検出」の頭文字を取ってCODEXと呼ばれるこの技術により、研究者たちは初めて個々のタンパク質が微小環境のどこにあり、他のタンパク質とどう相互作用をしているかを追跡できるようになった。 ノーランは特定のタンパク質を検出して結合するよう設計された抗体に感光性の「標識」を付けたタグ抗体を作成した。これらのタグ抗体は特定の波長の光に反応して蛍光色に染まる。腫瘍の組織標本にDNAバーコード付きのタグ抗体パネルをかぶせ、組織標本を格子状パターンに分割する。 この格子の四角の一つ一つに、異なる波長の光を次々に照射すると、特定のタンパク質が特定の波長に反応して蛍光染色された画像を取得できる。これらの画像を何枚も重ねることで、組織標本のどこにどんなタンパク質があり、どんな配列になっているかを立体的に可視化した正確なマップを作成できる。