世代つなぐ名将 親子で指導受ける大垣日大・袴田 センバツ
第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)第8日の27日、大垣日大(岐阜)は星稜(石川)に敗れ、惜しくも8強入りを逃した。二塁手の袴田好彦選手(2年)は親子2代にわたり、名将・阪口慶三監督の指導を受けてきた。父克彦さん(50)=名古屋市=は、かつて「鬼の阪口」の異名をとった恩師に率いられ、甲子園で躍動する我が子を感慨深げにスタンドから見守った。 【マーガード熱投! 星稜vs大垣日大】 阪口監督は、2005年に大垣日大の監督に就任するまで母校の東邦(愛知)で指揮を執り、両校で春夏通算33回の甲子園出場経験を誇る。克彦さんは、東邦が1989年春の第61回大会で優勝した際の3年生部員で、マネジャーを務めた。 「オーラがあり、勝負に対する熱意が感じられるものすごい指導者だった」。克彦さんは、当時の監督について振り返る。厳しさの中にある人間的な魅力。「(怒った後に)フォローしてくれるし、ユーモアもある。たまに甘えさせてくれるようなところもあった」と明かす。 ◇かつての鬼が「仏の阪口」に 小学1年から野球を始めた袴田選手は、父からそんな逸話を聞いて育ち、「自分も阪口監督に教わりたい」と大垣日大に入った。克彦さんは「期待が半分、心配が半分」だったが、1年秋からレギュラーに定着して実力をつけた。 かつて「鬼」と恐れられた阪口監督だったが、近年は選手を萎縮させないように気遣う姿から「仏の阪口」と呼ばれるようになった。取材に対しても「甲子園は楽しい、夢の場所。思い切り暴れてほしい」と懐の深さをにじませる。 22日の只見(福島)戦。克彦さんは試合前、無料通信アプリ「LINE(ライン)」で「困ったらベンチを見なさい」とメッセージを送った。「(阪口)先生は何十回も甲子園に出場し、勝ち方を知っている」。自らも教え子だからこそ、伝えられる言葉だった。 二回表、袴田選手は2死一、二塁の場面で右翼への適時打。九回には四球で出塁して生還し、初戦突破に貢献した。試合後は「守備でミスをした時も、監督は『そういう時もあるよ』と声をかけてくれ、落ち着いてプレーできた」と振り返った。 27日は星稜の右腕・マーガード選手(3年)を前に打撃が振るわず、守備でも内野ゴロを取り損ねるなどした。「自分のミスが失点につながった」と悔やむ一方、「父とは違う形でこのグラウンドに立ち、プレーする姿を見てもらえた」と話し、甲子園に戻ってくることを誓った。 克彦さんは、27日もスタンドで息子を見守り、「結果は残念だったが甲子園の怖さが分かったと思う。どうしていくべきか自分で整理し、次につなげてほしい」とねぎらった。【熊谷佐和子】