「やれそうな仕事ではなく、やりたい仕事を」…自殺未遂を乗り越えたエッセイストが「障害者向けライタースクール」の開校に挑戦
やりたい仕事ではなく、周囲からできそうだと思われる職にしがみつかなければならないのが、障害者就労の現実。そんな状況に一石を投じようとしているのが、詩人・エッセイストの豆塚エリさんだ。 【写真】自身の半生を綴ったエッセイ集『しにたい気持ちが消えるまで』を発表した豆塚さん 豆塚さんは障害や病気によって働きづらさを感じていたり、実際に働けない状況に置かれていたりする人の就労をサポートしたいと考え、障害者向けのライタースクールを開校しようと奮闘している。
詩や短歌を紡ぐ楽しさを知って「文の世界へ」
豆塚さんは幼少期から両親の不仲や虐待、ネグレクトなど親子関係の悩みを抱え、生活苦に耐え切れなくなり、16歳の時、自殺未遂。頸椎を損傷し、車椅子生活となった。 文を紡ぐ道に進んだのは、高校時代に所属していた文芸部で文筆業の面白さを知ったからだ。詩や短歌を作る中、本を作りたいという欲求が高まっていった。 「だから、同人誌を作って即売会で手売りしました。その延長で、大人になってからも同人サークルで同人誌を作り、自分の書いた文章を売っていました」 もともと内向的な性格で、人と関わることは得意ではなかったが、本を作る中で生まれる交流には頬がほころんだという。 文筆が趣味から仕事に変化したのは、22歳の頃。腸閉塞で入院しながら、「太宰治賞」の新人賞に応募したところ、作品が最終選考まで残ったのだ。 「当時は、離婚して家庭と仕事を失い、フリーランスでデザイン関係の仕事をしようと思っていた時期でした」 惜しくも新人賞の受賞は逃したが、それを機にNHKから番組のコメンテーターを依頼され、原稿の執筆依頼も舞い込むようになった。 そして、29歳の頃には、自身の半生を綴ったエッセイ集『しにたい気持ちが消えるまで』(三栄書房)を発表。プロのエッセイストの仲間入りを果たした。
文筆業の楽しさとフリーランスの不安定さを知った日々
文章を紡ぐ者にとって、豆塚さんの経歴は輝かしく映る。だが、一時期は市役所に生活保護の申請法を尋ねにいくほど、心身共に厳しい状況に置かれたこともあったという。 「仕事のために文章の技術を磨いたり、福祉や人権の知識を勉強したりはしていたけれど、自分に自信がなく、クラウドソーシングサイトで売り込むことはできませんでした。どうやって仕事を得ればいいのかも分からなかった」 特にコロナ禍では、コメンテーターの仕事が激減。フリーランスという働き方に付きまとう”不安定さ“という恐怖を痛感した。 そんな苦しい時期に出会ったのが、障害者のリアルな日常や思いを配信するウェブメディア「パラちゃんねるカフェ」の運営者・中塚翔大さん。 この出会いを機に、豆塚さんは「パラちゃんねるカフェ」にも寄稿するように。魂のこもった記事は読者の胸を打ち、常にアクセスランキングトップ5入りするほどの反響を得た。