三重殺で敗れた大阪桐蔭の昨夏 あの打席にいた僕の後輩への伝言
昨夏の甲子園で、仙台育英(宮城)の東北勢初制覇に並ぶ鮮烈な印象を残したシーンがあった。春夏連覇を狙った大阪桐蔭が散った準々決勝の下関国際(山口)戦での極めて珍しい三重殺だ。今、大阪桐蔭は史上初となる2度目のセンバツ連覇の偉業に挑んでいる。三重殺というつらい経験をした当事者だからこそ、後輩たちに伝えられることがある。あの夏、あの時、あの打席にいた彼を訪ねた。 【今大会のホームランを写真特集で】 2月下旬、神奈川県平塚市内の東海大野球部のグラウンドを訪れた。進学予定の東海大で一足早く練習していたのは大前圭右選手(18)。遊撃手としてノックを受け、打撃や走塁の練習に励んでいた。大前選手は下関国際戦の1点リードの七回無死一、二塁の打席で、バントエンドランを試みたが失敗し、三重殺の当事者になった一人だ。 私(記者)は彼と1対1で向かい合った。昨夏の試合後はオンラインでの取材で、直接話すのは初めてだった。つらい経験のはずだが、大前選手は「大丈夫です」と真摯(しんし)に話してくれた。 大前選手や関係者の話を総合すると、当時の状況は次の通りになる。 カウントは2ボールだった。大前選手によると、1球目のサインは記憶が曖昧だが、おそらくバントだったという。2球目は間違いなくバントだった。しかし、ボールだったため、見送った。 その様子を見た西谷監督が「ボールの見逃し方が(バントを)やりにくそうにしていた」と判断。「楽にしてやりたかった」と、迷いなくバントがしやすくなると考え、3球目にバントエンドランのサインを出した。 一塁と二塁の走者がスタートを切るため、打者は確実な成功が求められるが、腹をくくってバントに臨める。西谷監督は「バントがうまい」と大前選手を評価しており、信頼が厚かった。 だが、大前選手の自己評価は「バントは普通。特別うまくない」と西谷監督とは違っていた。バントエンドランのサインを出されたのも人生で初めて。「勝負かけたなと思った。何としても二、三塁を作りたいんだな」と思った。 ただ、相手の投手は本来は遊撃手で、フィールディングが巧みだった。一塁手も猛チャージをかけてきていた。まったく平常心ではなかった。 来たボールは外角。「どこに転がそうというか……。場所なんて狙う余裕がなかった。理想は(三塁手が捕れば三塁ベースが空くので)三塁方向かもしれないけど、ボールが外。とにかく、どっかに、一塁の方に転がしたかったけど、バットがボールの下に入ってしまった」 結果は投手への小フライとなった。飛び出した2人の走者は戻れず、二塁、一塁と転送され、まさかのトリプルプレーとなった。その瞬間、大前選手は「あーっ、と思った。周り(のどよめき)がすごかった」。 まだ1点リードしており、必死に守備に向けて気持ちを切り替えた。だが、このプレーから徐々に下関国際に流れが傾き始めた。九回に逆転を許し、ゲームセット。最強王者と目された大阪桐蔭の夏は終わりを告げた。 大前選手は敗れて涙は出なかったが、「自分が決めていれば……」という思いが正直あった。仲間たちはみんな、「『お前のせいで負けたんじゃない』と言ってくれた」。しかし、今でもあの試合が重い出来事だったことには変わりはない。「ユーチューブとかに(映像が)上がっているじゃないですか。嫌っすね。見るのが」 ただ、振り返って思うのは、勝負事の根幹だという。「自分たちに実力がなかった」 昨年のチームは常に「自分たちは実力がない。だから、チームとしてまとまりが必要だ」と言い合っていた。実際、チームメートの中でも絶対的な力があったと感じたのは、DeNAにドラフト1位で入団した松尾汐恩(しおん)捕手だけだった。大前選手は「今年もそれは変わらないと思う」と指摘する。 今のチームの大黒柱は、あの夏の下関国際戦で逆転打を浴びた前田悠伍投手(3年)。今大会屈指のエース左腕だが、「他にものすごい選手というのはいないのではないか」という。 だからこそ、自身の代の戦いを目の当たりにして得たはずの教訓を生かしてほしいと願う。「前田一人では勝てない。周りのやつらが自分の役割に徹して、チーム力で戦う。それが僕らを見て学んだことだと思う」 今春のセンバツで、大阪桐蔭の戦いぶりは圧倒的に強いとまでは言えない。総合力でしぶとく勝ち上がってきた。大前選手が残した教訓は後輩たちに伝わっているように見える。 大阪桐蔭は29日、東海大菅生(東京)と因縁の準々決勝に挑む。【岸本悠】