「あなたはまぎれもなく“食糞者”である」最新科学で解き明かす、驚くべき『うんこの世界』を読む
タイトルにうんこ、表紙にもうんこ。この本について語るのに、うんこを避けて通ることはできない。 2015年に刊行された『The Life of Poo』の訳書である、10月29日発売の『うんこの世界――細菌とわたしたちの深い関係』(増田隆一 監修、梅田智世 訳、晶文社)は、人間の体を多様な細菌の存在するひとつの生態系と捉える。そこに広がる世界を、イギリスの学者でBBCのキャスターもつとめる著者のアダム・ハートが探索。我々の生活に細菌がどのような影響を与えているのかを、全11章に渡り軽妙な語り口で、うんこを軸に解説していく。 第1章「気持ちよくうんこしていますか?」で、細菌のことを知るためのスタート地点となる「口」。そこは温かく湿った、細菌の増殖にうってつけの場所である。口腔細菌と虫歯とのつながりが証明されたのは、1960年代のこと。悪さをするのは1種類だけではなく、これまでに虫歯と関係する75種類が見つけられ、歯周病の部位でも何百種類にもなるという。口腔全体では750種類を超える細菌の存在が特定されており、全部で25000種類に達する可能性もある。とてもではないが、歯磨きで一掃できる気がしない。 著者は細菌に対して脅威を覚えるような数字や言説を、本書の中であえて何度も出してくる。そしてその都度、〈そこにどんな細菌種がいて、有害な細菌がどれくらい存在しているのか。それがわからなければ、こうした抽象的な「大きい数字」はたんなる見せかけでしかない〉などと注意を促しながら、細菌との適切な距離感を読者に植え付けようとする。ところが第2章「既知の菌の九九%を除去します」では、冷静ではいられなくなるような、衝撃の説が飛び出す。 〈あなたは自分を食糞者とは思っていないかもしれないが、まぎれもなく食糞者である〉。 微量のうんこが接触した表面に触れた手で口を触って、トイレを流した際に発生するうんこ由来の細菌を含んだエアロゾルを通じて、そのエアロゾルを浴びた歯ブラシを口に入れて。我々は何らかの形でわずかにせよ、うんこを口に入れている。だからといって誰もが、病原性大腸菌によって胃腸炎や食中毒に度々罹るわけでもない。その理由は、うんこが媒介する大腸菌のほとんどは無害であるから。〈細菌について闇雲に不安になる必要はない。気をつけてさえいればいいのだ。心配なら、肘を使ってドアを開ければいい。ただし、そのあとで肘をなめないように〉。 第6章「内なる世界」では、腸内細菌が食物の消化と金属吸収を助け、一部のビタミンを供給し、有害な病原性細菌の増殖を抑える働きまですることも明らかとなる。それなら悪い菌を取り除いて、体に良い菌だけを体内に残せばいいのでは?という考えも頭をよぎる。だが、第5章「耐性はむだではない」で紹介される、抗生物質耐性を持つに至る細胞の急速な進化を知った後だと、所詮無理な話だと打ち消さざるを得ない。なにより、第4章「握手を(とくに男性と)するときにはよく考えたほうがいい理由」を読んだ後だと、手洗いもろくに出来ていない人間が何を図々しいことを考えているのだと、反省もしてしまう。 病原菌の存在しない未来を期待する人からすれば不満だろうけれども、本書ではこうしたスッキリしない話の詳細こそが、トイレでじっくり読み耽りたくなるほどに面白い。たとえば、細胞が抗生物質の耐性を獲得するメカニズム。そこでは環状DNA分子「プラスミド」がUSBドライブのように働き、コンピュータ間……ではなく細胞間で耐性遺伝子が広まっていく。抗生物質の効かなくなることに恐ろしさを抱くよりも先に、そのよくできた細胞のシステム設計に感心してしまう。 腸活ブームによって注目を浴びる、有益な細菌を含む調合物「プロバイオティクス」だが、高価なヨーグルトなどのプロバイオティクス食品について、効果を裏づける証拠はほとんどないらしい。第10章「それ、本当に食べますか?」でのそんな残念な話は、発想の転換によって新たな展開を見せる。 プロバイオティクスを腸までの道のりの遠い口から摂取するよりも、多くの細菌を含むうんこを肛門から体内に押し込んだ方が近道だし、効果もあるのではないか?という身も蓋もない論理から導き出される摂取方法。それが実際に存在しているのである。ドナーから採取して処理したうんこを被移植者の腸に挿入する「糞便微生物叢移植」は、メタボリックシンドロームやアレルギーなど、さまざまな疾患の治療オプションの候補になり得るものとして研究が進められているという。 未来のうんこの世界がどうなっているのか、今から興味が尽きない。
藤井勉