北の富士さんの妹が話してくれた すずらんと北の富士さん母子を結んだ物語 納骨は「すずらんの花が咲くころに」
◇記者コラム「Free Talking」 山形県酒田市で「ちゃんこ北の富士」を営む和島信子さんに電話をかけた。11月に亡くなった元横綱北の富士さんの「しのぶ会」から数日たったころだった。 北の富士さんの妹である信子さんは、北海道旭川市にあるお墓に納骨する時期を「すずらんの花が咲くころに」と話してくれた。 北海道を代表するすずらんが咲くころとは5月下旬だという。北の富士さんにとって母・みよしさんの思い出が詰まった花でもあった。 北の富士さんが現在の八角部屋の地に九重部屋を建ててから、みよしさんが北海道から訪ねてくることがあった。 「そのとき部屋の前にある電信柱かポールの下に、母がすずらんの苗を植えたらしいんです」と信子さん。その苗はしっかりと根を伸ばし「兄が『毎年、すずらんが咲くんだよなあ』『母さんが植えてくれたんだ』と話してくれたことがありました」と懐かしそうに話した。 北の富士さんは入門するため14歳で北海道を離れ上京した。子どものころに母と過ごした時間は短かった。信子さんによると、みよしさんは息子の取組が始まるとテレビを見ず、音が聞こえないようにふとんをかぶったそうだ。母の愛情が見え隠れする。すずらんはそんな母との思い出の花だった。 文学少女だったというみよしさんの血を受け継いだ北の富士さんは、小学生のときに書いた「ぼくのランドセル」という作文が新聞に掲載されたという。本紙コラムで腕をふるった文才もうなずける。 そういえば八角部屋には何度も取材で通っていたのに、すずらんには気がつかなかった。今でもまだ花を咲かせているのだろうか。 (大相撲担当・岸本隆)
中日スポーツ