【橘玲『DD論』インタビュー第3回】世界は自由になり、多くの男は脱落し、女は幸福度が下がった
橘 2010年代のアメリカで、「インセル」(incel:「不本意」と「禁欲」を合わせた造語)を自称する若い男性たちが「非モテにも幸せになる権利がある」と声を上げたのが、社会現象として非常に興味深かったんです。その背景には恋愛市場が自由化し、男と女の性愛戦略の違いが露骨に現われてきた時代の流れがある。「男と女は平等であり、なんのちがいもない」というきれいごとに対する深刻な反発が生まれてきたのです。 ――『DD(どっちもどっち)論』では、マッチングアプリを使った実験で、男と女の性愛戦略の違いが残酷なまでに明らかになったことなど、恋愛市場をめぐる現代社会の話題も数多く取り上げています。 橘 男と女の性愛戦略の違いをひと言でいうと、「(第一段階では)男が競争し、女が選択する」です。男性がマッチングアプリで「いいね」を押しても100回、1000回にひとりしかマッチしないのに、女性は「いいね」を押すとだいたいマッチするわけですから、ここには巨大な"選択の格差"があります。 しかしこれは不愉快な話なので、これまでは見て見ぬふりをしていた。そして、クラスで一番かっこいい男子を複数の女子が取り合うとか、一番の男子と二番の男子の間で主人公が悩むというような、「第二段階での選択」ばかりが恋愛小説や少女漫画の定番になっていた。その前に起きている男たちの序列競争や、そこから脱落していった大半の男たち(モブ)の苦悩は慎重に避けられていたわけです。 余談になりますが、「アルファとベータの男の間で揺れる女」をおそらく初めて主人公にした歴史的な作品が『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル)ですよね。あれが女の求める理想で、その後のハーレクイン・ロマンスなどにつながっていったと思います。 ――ただ、特に近代以降は、一夫一妻制を基本とする社会の共同体圧力が「非モテ」の問題をカバーしてきた側面もありますよね。 橘 日本でも昭和までは、男がほぼ結婚できるのが当たり前でしたからね。ところが社会がリベラル化すると、旧来的な共同体が解体され、みんなが個人の自由意志のもとで振る舞い始める。恋愛市場における男と女の戦略の違いがより鮮明になって、多くの男が選択されずに脱落するようになっていくのは自然なことです。その結果、ごく一部ではあるにせよ、イーロン・マスクのようなアルファな男を中心とした実質的な一夫多妻も起きています。 アメリカではインセルがその状況を言語化したことで社会現象となり、一部が暴走して乱射事件を起こすところまでいったのに対し、日本ではそこまで過激化していませんが、当然同じ構造はあります。ジェンダー平等が実現し、みんなが自分らしく生きられるようになるのはもちろん素晴らしいことですが、全体にとっていいことがすべての個人にとっていいこととは限らないというのもまた事実でしょう。 ――結論としては「どうしようもないこと」なのかもしれませんが、その問題の存在自体を見ようとしないのか、それとも認めた上で「しょうがない」と言うのかは、世界を理解する上では大きな違いですね。 橘 もうひとつ興味深いのが、最近の欧米の研究では、男性と女性の「幸福度の格差」がどんどん縮まっていることです。それも、もともと幸福度が高かった女性の幸福度が下がって、男女差がなくなってきているとされます。 なぜこんな奇妙なことになるかというと、あくまでも私の理解ですが、ジェンダー間の権利や社会参画の格差がなくなっていくにつれ、「女も対等な立場でレースに参加すべきだ」という流れになってきた。ただ、会社とか政治における出世競争って、これまで何千年もかけて男が作ってきたゲームですよね。そこにいきなり放り込まれて、「そもそもこんなルール、自分たちが決めたわけじゃない」と混乱している女性も少なくないでしょう。 ところが、それを表立って言うと「遅れている」と批判されるので、しかたなくそのゲームに参加している人も多い。これが、女性の幸福度の平均が下がったことの大きな要因になっているのではないかと思います。