街裏ぴんく、『R-1』優勝でオファー増も「まだ赤子」 妻のお笑いの才能も明かす
■急増したテレビの仕事に「まだ赤子のように右往左往してます」 ――優勝直後からオファーが殺到。いろんな番組に出演されていますが、手応えはいかがですか? まだ赤子のように右往左往してる状態で(笑)。吐くくらいの思いをして手応えをつかんでいかなアカンなと思ってます。これまで20年、お笑いの活動といえば“漫談”で、ほとんどそれだけでやってきましたからね。テレビもスポット的にちょこちょことは出していただいていたんですけど、だいたい1回限りで終わってた。でもこれからは、2回目、3回目と呼んでもらわなアカンという“使命”みたいなもんが自分の中に芽生えてきたこともあって、次につなげる大事な1回目をどうすればいいかを、先輩とかうちの嫁さんに相談しながらやっているという状況ですね。 ――奥様にも相談を? 高校生くらいからずっとガチでお笑いを見てきた人で、僕と感覚も近かったりするんで、嫁さんの意見はめちゃめちゃ参考になりますね。僕の持ちネタで「有名人の目撃談」というのがあって、いろんな有名人が街でこんなことしてましたっていうのを、それこそ“ファンタジー”で話すというものなんですけど……大きい声では言えないですが、中には嫁が丸ごと全部考えたネタもあって、それがめっちゃウケたこともあります(笑)。 ――奥様、才能ある! だからやっぱりね、信頼してるんですよ(笑)。
――最後に、これからやってみたいことを教えてください。 メディアでいうとラジオですかね。ラジオはもともと好きやし、漫談と親和性があるのかラジオの番組に呼ばれることが多いんですよ。だから自分のラジオ番組を持てるとうれしいなと思います。あとはやっぱり独演会。みなさんを驚かせるような、漫談の見せ方の可能性を広げていくようなことがやりたいんです。 ――“見せ方の可能性を広げる”とは、具体的には? 僕は過去にいろんなコンセプトで独演会をやらせてもらっていて、たとえば架空の告別式という設定でやった独演会は、お客さんに喪服で集まっていただいて、そこで僕が読む弔辞が漫談になっていて……というものやったり。だから今回の優勝特番のような、ただネタをやるだけじゃなくて、あるシチュエーションで進むストーリーの中心に漫談を入れ込むという方法はまさに僕がやりたいことだったので、こんなふうに見せたら伝わりやすくなるのか! とか、発見もあったしすごく勉強させてもらいました。これからいろんなことを企てていけたらと思ってます。 ■街裏ぴんく 1985年2月6日生まれ、血液型:B型、大阪府堺市出身。2004年、大学在学中に漫才コンビを結成。解散後、2007年にピン芸人に。『R-1グランプリ2024』優勝、「Be-1グランプリ2022」優勝。
浅原奈美