自己成長の気持ちが原動力に グループで提供していきたい「SELFing」という考え方
労働力人口の減少に直面する現代の日本社会。一人ひとりの能力を引き出し、より大きな価値を生み出す「教育」の重要性がますます高まっています。 ヒューマングループは、1985年の創業以来、「ヒューマンアカデミー」に代表されるスクール運営によって多くの人材を輩出し、同時に人々に活躍の場を提供する幅広い事業も積極的に展開してきました。 2002年以降、同グループの経営を担ってきたのが、ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長の佐藤朋也さん。佐藤さんに、教育ビジネスに関わることになった経緯や株式上場までの道のり、外部環境の変化で生じた危機の克服、また、人材やキャリアに悩む多くの企業や人びとの解決の糸口、ヒューマングループのバリュープロミスである「SELFing」などについて詳しくうかがいました。
自分を厳しく鍛えられそうな会社を選んだ
――これまでのキャリアから伺います。学生時代はどのように過ごしていたのでしょうか。 大学は商学部で、専攻はマーケティングでした。のちに慶應義塾大学ビジネススクールの校長も務められた池尾恭一先生のゼミです。ハーバードビジネススクールのメソッドのケーススタディーを使った授業が非常におもしろかったことが印象に残っていますね。池尾先生には、現在ヒューマンアカデミーのウェールズ大学MBAコースの講師をお願いしており、ずいぶん長くお世話になっています。 勉強以上に力を入れていたのは、フルコンタクト空手や外国人観光客をサポートする英語ガイドなどのサークル活動でした。4年生のときには国会議員秘書のアルバイトも。たまたまその年に衆参同日選挙があるなど、貴重な経験ができた学生生活だったと思います。 ――貴社は1985年に佐藤社長のお父様が創業しています。当時から、将来会社を継ぐ可能性は考えていたのでしょうか。 創業者である父(佐藤耕一)が独立して会社をつくったのは、私が大学2年のときです。経営者の家庭で育ったわけでもないので、自分が会社を継ぐという発想はまったくありませんでした。むしろ、早く親離れしてひとり立ちしたいと考えていました。 ――最初は日興証券(現SMBC日興証券)に入社しています。証券業界を選んだ理由をお聞かせください。 就職活動では、自分を厳しく鍛えて成長させてくれそうな会社を探しました。「証券会社なら広く社会や経済のことを勉強できそうだ」という理由で選びました。将来自分が起業するための実力をつけてからやりたい仕事を見つけようと思っていました。 ――日興証券ではどのような業務を経験したのでしょうか。 配属先は東京の中野支店で、職種は営業でした。新人はまず、地域の中堅企業オーナーを対象に資産運用を提案するのですが、簡単な仕事ではなかったですね。社長はみなさん忙しく、訪問してもまず会えません。受付にはライバルの証券会社の名刺が何十枚もたまっています。その中で厳しい目標数字をクリアするにはどうすればいいのか。それを考えるところからスタートしました。 ありがたかったのは、中野支店がわりと自由にやらせてくれる拠点だったこと。自分なりにいろいろな営業方法を考えて、試していきました。そのひとつが「早朝営業」です。オーナー社長は、夜の帰宅の時間は不規則でも、毎朝自宅を出られる時間は決まっていて、その時間帯に行くと会える確率が高いのです。 ただ、当然ですが、早朝営業をすると、支店で行われている朝礼には出られません。最初は「若手のくせになぜ朝礼に出ないのか」と何度も注意されました。それでも、毎月数千万円、時には1億円前後の投信を買ってくれる大口顧客を獲得し、上位の成績を出せるようになると何も言われなくなりました。 ライバルが多い市場では他と同じことをやっていても勝つことはできません。「何か違うやり方はないか」と考え、仮説を立て、実践して、検証する。これはまさにマーケティングの手法です。このようなやり方がおもしろいと感じた最初の経験だったと思います。 ――営業が好調だったときに、貴社の前身であるザ・ヒューマン株式会社に関わることになります。当時の状況を教えてください。 ある日、営業先から支店に戻ると、同期の女性社員に「お父さんが来ているよ」と言われました。そっと支店長室を覗くと、父が支店長と話し込んでいます。私を退職させて自分の会社を手伝わせたいと申し入れに来ていたのです。事前には何の相談もされていません。最初は「何をしてくれるんだ」と、とにかく腹が立ちました。 ただ、それから話を重ねるうちに少しずつ考え方が変わっていきました。そもそも日興証券に入ったのも起業するための勉強のつもりでした。その頃のヒューマンはまだ発展途上のベンチャー企業でしたから、「起業するためには、ベンチャーで勉強するのもひとつの方法かもしれない」と考えたのです。 また、父は営業に関してはすごい実績の持ち主でした。創業前に在籍した企業では営業担当役員を務めていたことがあり、ヒューマン自体もそれまでの教育ビジネスになかった革新的な営業手法を導入して急成長。その営業ノウハウを間近で見てみたいという思いもありました。 ――そんなザ・ヒューマン株式会社に入社される前に、もうワンクッションあったとうかがいました。 証券会社で営業をやっていたので、ヒューマンでもそのまま営業を担当するつもりでいたら、「管理部門を見てほしい」と言われました。さらに、会計や財務の知識を身につけるため、まずは会計事務所で修行するようにと。最初は釈然としませんでしたが、ここでも「将来起業するには会計の知識もあった方がいい」と考え直しました。 転職した会計事務所には2年弱勤務しました。最初は公認会計士チームに所属しましたが、バランスシートが正しいかどうかを確認するため、終日倉庫で在庫を数えるような単調な仕事ばかりで、このままでは成長の機会が失われるという強い危機感のもと、会計や財務だけではなく幅広い知識を身に付けるべく、不動産チームへの異動を申し出ました。 不動産チームでは、当時まだ目新しかったカラオケボックスの立ち上げを任されました。担当したのは、事業計画から店舗開発、運営管理まで全部。まさにマーケティングの実践です。事業が軌道に乗りはじめたところで退職することにはなりましたが、想定をはるかに上回るスピードで投資を回収することができました。いわば事業立ち上げを通じて財務や会計を学んだことになります。いま振り返ると、大変良い経験でした。