江原啓之「恋愛においての無償の愛というのは、基本的にありません」その深意は?
スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。 【写真を見る】パートナーの奥迫協子、パーソナリティの江原啓之 今回の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。
<リスナーからの相談> 無償の愛について質問です。現在片思い中の男性に、見返りを求めず愛を注いできました。最初はただ彼の喜ぶ顔が見られて嬉しかったのですが、なんだか彼は私の好意に甘えて、彼自身の成長につながっていないと思うようになり、手厚く接することをやめました。実際、虚しさを感じていたので、無償の愛ではなかったのだと思います。 母親が子どもに与える無償の愛は理解できますが、恋愛における無償の愛は難しいなと思います。どこかで相手に振り向いてもらいたい、自分のことを好きになってもらいたいと思ってしまうのではないでしょうか。もう一度、無償の愛の定義を教えてください。 <江原からの回答> 江原:番組を通しての言葉だけだと理解するのは難しいかもしれませんので、私の著書「愛のスピリチュアル・バイブル」(集英社)という本も参考にしていただけたらうれしいです。他にもさまざまなテーマ・内容で処方箋のような本を出しています。“無償の愛の定義”については、ぜひ書籍を読んでいただければと思います。 さて、恋愛においての無償の愛というのは、基本的にありません。恋愛は見返りを求めますから。恋愛は感性の学びです。そういった意味では、みんな見返りを求めるものだと思いますよ。ただ、「これは無償の愛で、こっちは打算の愛だ」と分類分けできるものでもありません。人間というのは、“どちらかだけ”というふうにはできないですよね。無償の愛なのか打算の愛なのかに境界線はなく、誰しも心のなかで混ざっていますよね。 難しいですが、常に意識することが大事なんです。無償の愛とは、自律した愛なんです。損得ではなく、自分で自分を律する。できることはできる、できないことはできないと、理性的にしっかり分析することが大事。人間はどうしても感情に走るものです。しかし、そこから理性に戻すというのが悩み知らずの人生になるんですよね。 片思いという話じゃないにしても、人間誰しも「嫌われたくない」「好かれたい」という気持ちがあるものです。打算の愛、依存心を使ってしまうことが多いわけです。例えば人に贈るプレゼント1つを取っても、本当に無償の愛のプレゼントもありますが、やはりどこかで「喜んでほしいな」という気持ちはありますよね。これは悪いことではありませんが、「喜んでいる姿が見たい」という見返りを期待してしまうんですよ。 例えば、プレゼントを渡したのに相手の反応が薄くて、「喜ぶ顔が見たかったのにな」と思うのは、依存心なのです。プレゼントはお渡しした瞬間、放念しなければいけません。後日、お礼を言われたときに思い出して「ああ、良かった」という気持ちになれば良いだけ。 それを「喜んでくれるかな?」「どうかな?」と見ていたら鬱陶しくて、もはや無償の愛ではないじゃないですか。最初は「喜んでくれたらいいな」という気持ちでも良いですが、そこをぐっと無償の愛に持っていきましょう。 親子の愛でも、無償の愛なんて、なかなかないんですから。「出世してほしい」「○○になってほしい」「元気に学校に行って、泥だらけで帰ってきてほしい」とか期待しちゃうでしょう? なので恋愛にせよ、子育てにせよ、すべては人間関係のうえで成り立っています。「これは、この人にとって良くないな」と思えば距離を置くなどしてコントロールする。それが自律です。 そう定義すれば、恋愛をする・しないにかかわらず、誰もが幸せです。孤独ではなく「孤高に生きる」のです。夫婦であっても、恋人がいても、孤高じゃなければダメです。相手に依存せず、自分は自分。オーケストラだって、さまざまな楽器があるからハーモニーが生まれるので、全員が全員バイオリンじゃいけません。そう考えると、分かりやすいかもしれませんよ。