2点差からの大逆転V!なぜ静岡学園は24年ぶりの”サッカー王国”復活を成し遂げたのか?「徹底して個を育てる」
連覇を狙う浦和南(埼玉)と激突した決勝戦では、壮絶なゴールの奪い合いを展開。最終的には5-4で浦和南に軍配が上がった90分間は「史上最大の決勝戦」として伝説と化し、1960年代に藤枝東が一時代を築き上げていた静岡勢と、サッカー王国という称号をさらに強く結びつけた。 「強いと言われたときの静岡には、スーパースターと呼ばれる個性的な選手が各チームにいて、全国大会に出場してはチャンピオンになっていた。勝負強さのなかに、いま現在のサッカー界で最も重要視されている個の力というものが存在することが静岡県勢の最大の特徴でした」 自らも静岡学園でプレーし、1996年度からはコーチとして母校に復帰。2009年度に井田前監督からバトンを託された46歳の川口監督は、藤枝東に続いて清水商業(現清水桜が丘)、清水東、東海大一、そして鹿児島実業(鹿児島)と両校優勝した1995年度大会の静岡学園と、静岡県勢が全国の舞台で描いてきた軌跡の意味を誰よりも理解している一人だ。 だからこそ、24年前の静岡学園を最後に静岡勢が全国選手権の頂点から遠ざかっている背景も、あくまでも「自分の考えですけれども」と断りを入れながら、次のように説明する。 「静岡県の流れを見ていると、勝つサッカーが主流になった。勝負に強くこだわるようになったことで何が失われたのかと言えば、おそらくは個の力、個性が非常に薄くなっている気がするんです」
1993年にJリーグが産声をあげ、各クラブが下部組織を持つことを義務づけられた関係で、有望な高校生が全国へ分散する流れも生じた。そこへ何よりも結果を重視するサッカーに各校が走ったことで、静岡県内に没個性の潮流が生じ、結果として全般的にチーム力が低下してしまった。 時代の流れとも言える傾向に、必死に抗ってきたのが静岡学園となる。井田前監督時代から「徹底して個を育てて、上のステージで通用する選手を輩出する」というスタンスはまったく変わらない。静岡県内でも勝てず、全国大会から遠ざかる時期が続いても信念は一度もぶれなかった。 練習前や試合前のウォーミングアップには、いまもドリブルとリフティングが取り入れられている。可能な限りボールに多く触り、個の力の源泉となるドリブルをそれぞれの個性に合わせて磨きあげる。今春の卒業後は拓殖大学に進む、川崎フロンターレU-15出身の浅倉が効果をこう語る。 「中学時代はドリブルがあまり得意ではなかったんですけど。ドリブルは非常に体力を使うので、ウォーミングアップが嫌になったというか、きつかった時期もありましたけど、続けてきてよかったです」 指揮官の喝を受けた後半は浅倉を中心に徹底してドリブルで仕掛け、連動するようにサイド攻撃も生きてきた。待望の同点弾が生まれたのは同16分。左サイドから中央へ侵入した草柳のパスを受けたFW加納大(2年)が、反転しながら利き足とは逆の左足で豪快な一撃をゴール右隅へ突き刺した。 大会前に左ひざの内側に炎症を起こし、県大会のレギュラーからリザーブに甘んじていた加納は、決勝戦の先発メンバーではGK野知滉平(2年)と並ぶ、数少ない静岡県出身者でもある。2人の兄も静岡学園でプレーしていた加納は、静岡勢の復権を期して先発に復帰した決勝を迎えていた。 「静岡県勢が馬鹿にされているというか、周りから『最近ダメだよね』とか『弱いよね』と言われていたので。そういうのを覆すようなプレーを、静岡の意地を見せられてよかった」 実際、前回大会までは藤枝東、藤枝明誠、清水桜が丘、浜松開誠館と静岡勢は4年連続で初戦敗退を喫していた。ひるがえって5年ぶりに全国選手権に臨んだ静岡学園は、後半40分にセットプレーから再び中谷が叩き込んだ勝ち越しゴールを死守。2度目の全国制覇を、初の単独優勝でもぎ取った。