サッカー界で最も過小評価されているCB? マン・Uが狙う「セリエA最高のDF」ブレーメルとは何者か
マンチェスター・ユナイテッドでのサー・ジム・ラトクリフ時代がいよいよ本格化してきた。INEOS会長は現在、プレミアリーグで首位争いをしているマンチェスター・シティやリヴァプールとの差を縮めるべく、クラブの移籍ポリシーを完全に見直す作業に取りかかっている。マンチェスター・Uの新たな小規模オーナーは「全員を止まり木から叩き落す」ことを約束しているが、同時に過去10年にわたり多すぎるほどの高額契約がオールド・トラッフォードでの期待に応えてこなかったことを鑑み、「金に糸目を付けないことがすべてを解決するわけではない」とも警告している。 文=ジェームズ・ウェストウッド マンチェスター・Uは今、チーム内の問題箇所を修復しようとしており、将来のための理念に見合う選手だけを手に入れようとしている。夏の移籍市場が開けば真っ先に取り組むべきは高齢化してきたバックラインの再活性化で、そのリストのトップに上がっていると言われているのが、ユヴェントスの汗かき屋グレイソン・ブレーメルだ。 イタリアのメディア『Calciomercato』は、赤い悪魔がすでにこのブラジル代表とコンタクトを取ったと報じている。ユヴェントスは12月にブレーメルと新たな契約を結びつつも交渉に前向きであるとされる。inewsによると、その契約には5,000万ユーロ(約82億円)の契約解除条項が含まれているが、ブレーメルの才能を考えれば破格の安さだと言えよう。 セリエAでの彼の台頭を知らないマンチェスター・Uのファンは、彼が来るかもしれないと言っても大して興奮しないかもしれない。サッカー界で最も過小評価されているセンターバックのひとりであるブレーメルのキャリアを掘り下げ、どういう選手か明確にしてみよう。
すべての始まり
ブラジルのバイーア州イタピタンガで育ったブレーメル。父親は家族経営の農場で働くことを生活の基本とするよう教え、ブラジルのアマチュアサッカーでプレーする姿を息子に見せていた。もっとも、ブレーメルという名前は、1990年のワールドカップ決勝で決勝点を決めたドイツのレジェンド、アンドレアス・ブレーメにちなんだものである。 14歳になって初めて、ブレーメルは本格的にサッカー選手としてのキャリアを進みはじめることとなる。「バイーアの私の街には大きなクラブは2つしかなく、私は街の中心からは離れたところに住んでいた」と、2023年に『デイリー・テレグラフ』のインタビューで語っている。 「何キロもの道を通わなければならなかったから、クラブに入ってトレーニングするチャンスがなかった。14歳の時にサンパウロに移って、16歳でデスポルチーヴォ・ブラジルでプレーすることになった。その前はサッカーができる時、できる場所でプレーしていた」 「ストリートでは負けない方法を学んだ。アグレッシブにサッカーをする方法も学んだよ。少しずる賢いことも学んだかな。敵だけでなく時には審判をだますこととかね」 デスポルチーヴォでは、アイスクリームを売って遠征費を稼ぎ、ストリートで学んだ知恵のおかげで瞬く間にチームの主要メンバーとなった。そして2016年、ついにレンタルでブラジルの巨人サンパウロに移籍。その年、19歳でリザーブに選ばれてプロデビューを果たすと、U20コパ・ド・ブラジルでの優勝に貢献した。 南米のテレビ番組『Hoje em Dia』によると、サンパウロはわずか4万ポンド(約770万円)でもう1年ブレーメルを保有できたという。しかし、彼の将来について決定を下すのに時間をかけすぎた結果、突如現れたアトレチコ・ミネイロにかっさらわれてしまう。 ブレーメルが正式にアトレチコに加入したのは2017年3月で、シニアデビューは3カ月後。ブラジルのセリエAでのシャペコエンセ戦だった。DFとしての才能を評価され、トップチームでたった4試合プレーしただけで契約が延長された。これによりヨーロッパのビッグクラブに注目されるようになり、最終的にアトレチコはブレーメルが翼を広げて飛んでいくのを阻止できなかった。