「人生を変えてくれた」 記者が古里を再訪して知った石巻ラグビー復活の鼓動 #知り続ける
「友達といるのが楽しかった」
震災当時小学3年だった末の弟は仙台市に引っ越す小学6年までライノスに所属した。年月の経過とともに少しずつ前を向き、震災当時のことも話せるようになった。 あの日、上の弟に連れられ学校から帰宅しようとした時にこちらに向かってくる津波が見えた。おんぶされて歩道橋に逃れた。そこで上の弟が撮影し、私に送られてきたのが水没した街の写真だった。亡くなった親友の家も見に行った。泥だらけのランドセルに、自分があげたお土産のキーホルダーがついていた。 22歳になった弟に話を聞くと、気が弱く実はラグビーはそこまで好きではなかったらしい。それでもライノスで練習に参加することで、「めちゃくちゃ気が紛れた。友達といるのが楽しくて続けたんだよな」と懐かしんだ。 元日本代表の大畑大介さんや五郎丸歩さんら著名なラガーマンたちがスクールを訪れ、励ました。今も定期的にスクール生の指導に訪れるプロ選手や企業チームがある。伊藤さんは「石巻ラグビーの復活を掲げて作ったチームですが、子どもたちが楽しくラグビーを続けてくれることが一番」と話す。
きっかけくれた「先輩」
弟の話によく登場する幼なじみのスクール生がいた。慶応大ラグビー部に入部した相沢源希(げんき)さん(22)。私は21年に「大学スポーツ」をテーマにした取材で、相沢さんが練習する横浜のグラウンドに行った。 津波で亡くなったスクール生の小学4年の男子児童について聞いたのはこの時だった。 今年1月下旬、相沢さんに約3年ぶりに会った。快足が自慢のウイングだった相沢さんは4年生となり、部は引退していた。就職先も決まり、10年以上続けてきたラグビーに一区切りつける。 ライノスに入ったのは、小学3年のころ。父親に連れられて体験会に参加したが、「内向的で人見知りだった」相沢さんは、みんなの輪に入れず、グラウンドの隅でぽつんと立っていた。 すると、1学年上の「先輩」が声をかけてくれて、パスのやり方などを教えてくれた。「優しくしてくれたのがすごく励みになった。このチームなら仲良くやれそうだなと思って、ライノスに入った」。「先輩」は「パスしようぜ」「こうやるんだぞ」といつも気さくに話しかけてくれた。 その「先輩」が亡くなったことをライノスが再開する前、相沢さんは父親から聞いた。「全然実感がわかなかった」