『悪なき殺人』『12日の殺人』『落下の解剖学』…人間のダークサイドを見つめるフレンチ・ミステリーの真髄とは?
フランスのドミニク・モル監督の『12日の殺人』が3月15日(金)に公開されることをきかっけに、モル監督の前作で日本でもクチコミでヒットを記録した『悪なき殺人』(21)がAmazon Prime Video チャンネル「スターチャンネルEX」で配信中だ。昨日授賞式が行われた第96回アカデミー賞では、ジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(公開中)が作品賞を含む5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞。フランス映画が脚本賞で受賞を果たすのは、第29回の『赤い風船』(56)、第39回の『男と女』(66)以来57年ぶりの快挙となった。本稿では、いま注目すべきフレンチ・ミステリーの魅力を、パリ在住のジャーナリスト、佐藤久理子がひも解いていく。 【写真を見る】美しき2ショット!失踪したエヴリーヌは若い女性マリオンと一夜を共にしていたが…(『悪なき殺人』) ミステリー映画というと、一般的には推理小説のような謎解きを楽しむ作品というイメージが強い。とくにアメリカでは、ハリウッドでアガサ・クリスティ原作の映画化が何度も繰り返されているように、迷宮事件の謎を解くおもしろさ、といったものが主流だ。 ではフレンチ・ミステリー映画の魅力とは、どんなところにあるだろう。アメリカ映画とはかなり異なるものなのか。 個人的な見解を言わせてもらうなら、フランス映画の場合はもっとドラマに寄ったものが多いという印象だ。事件が解決する醍醐味、あるいはアクションやヴァイオレンスの激しさで見せるというより、人間の暗く重い側面をじっくりと見つめるシリアスな作品が目につく。 ■追い詰められていく刑事たち…未解決事件をリアリスティックな映像で描く『12日の殺人』 この度めでたく日本公開を迎えるドミニク・モル監督の新作『12日の殺人』は、その代表と言える。モル監督は日本でいまひとつ浸透していないと思われる映画作家だが、自国で高い評価を受けており、本作は昨年、フランスのアカデミー賞と言われるセザール賞で、作品賞を含む最多6冠を受賞した。 グルノーブルにある山間の街で、21歳の女性クララが焼死体となって発見される。彼女が所持していた携帯の履歴から、警察はクララの親友の協力を得て、その交友関係を洗っていく。だが、奔放なクララと関係を持った男たちはみんな、疑惑はあっても確固たる証拠には結びつかない。苛立ちとストレスに、刑事たち自身も精神的に追い詰められていく。 モル監督はデヴィッド・フィンチャーのファンだと聞くが、本作の映像スタイルはフィンチャーのようにスタイリッシュではなく、あくまでリアリスティックだ。刑事たちはヒーロなどではなく、孤独を抱えた独身者であったり、働きすぎて妻に愛想を尽かされた者だったりする。そんな彼らが、生きたまま若い女性を焼くという残虐な手口の殺人を前にして、やりきれぬ想いに駆られていく。とくにクララの両親の悲しみを見ながらも、為すすべもなく時間ばかりが過ぎていく刑事たちの焦燥感が、きりきりとしたテンションのなかで描かれる。 さらに、どこかデヴィッド・リンチのドラマ「ツイン・ピークス」を彷彿とさせる雰囲気があるのも特徴だ。それは山に囲まれた田舎の工場地帯という環境が醸しだすものであったり、緻密な色彩設計により映しだされる墓地やダイナーなどの風景だったりするのかもしれない。若い女性を狙った特異な手口や未解決事件という要素も、共通している。だがそれでも、決して現実離れした幻想的な方向に流れるのではなく、あくまで地に足の着いたリアルな怖さを持って迫ってくるのが、モル監督らしい。それらは人間が持つ闇を浮き彫りにし、まるでシェイクスピアの悲劇を彷彿させるかのようだ。 ■ラストの伏線回収に圧倒される!5人の男女の悪夢の連鎖『悪なき殺人』 さらに、新作の公開に合わせモル監督の前作『悪なき殺人』も、スターチャンネルEXで配信&劇場再上映となるから、見逃せない。2019年、東京国際映画祭で観客賞と最優秀女優賞(ナディア・テレスキウィッツ)をW受賞した、コラン・ニエルの原作を映画化した本作は、様々な偶然が重なり、悪夢のような連鎖によって悲劇に導かれるという発想のユニークさと巧妙なシナリオの構成により、観始めたらやめられなくなるおもしろさがある。 ある山間地帯で、女性が失踪する。夫の別荘に来ていたエヴリーヌというその女性は、彼が出張中に姿を消したのだった。ここから時計の針は遡り、エヴリーヌが失踪するまでの経緯を映画は語る。村に住むアリスは農夫ジョゼフと不倫をし、アリスの夫ミシェルは、妻に隠れてネット恋愛にはまっている。一方、夫と冷えた仲にあるエヴリーヌは、別の土地で知り合った若い女性マリオンと衝動的に一夜を共にするが、マリオンが別荘まで追いかけてくると冷たい態度に出る。だが、これらの人間関係が偶然によってつながり事件を紡ぎだすきっかけとなるのは、フランスからはるか彼方のアフリカにいる青年のネット詐欺にあった。もっとも、彼自身はまさかこんな事態を招くとは夢にも思っていない。 本作もまた、運命に翻弄される無力な人間たちを重厚に描く。ここに登場する人々を、あまりに愚かすぎると思うのは観る者の自由だ。だが、たとえそうであったとしても、まったくの他人事として突き放せないところがこの作品の巧妙な点でもある。実際、ネット詐欺はこの世に蔓延しているし、その理由は、なにかにすがりたい人々の心の隙間に巧妙に入り込んでくるからであり、自分がいつそうした被害者にならないとも限らない。キャラクターたちの誰もが満たされない欲求を抱え、その衝動に突き動かされる点も納得できる。結局、人間誰しも愛されたいと思うのは同じなのだ。 ちなみにこの2作品をはじめモル監督のほとんどの映画作品で共同執筆を果たしているのが、自身も『サイレント・ホスピタル』(03)などの監督として知られるジル・マルシャン。2人の強力なコラボレーションも、予想を覆すおもしろさを生みだしていく一因かもしれない。 ■山荘で起きた事件…“落下”が意味するものとは?『落下の解剖学』 フランスで150万人を超える動員を記録し、昨年のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞をはじめ、本年度アカデミー賞脚本賞に輝いたジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(公開中)も、ドラマの重さが際立つ作品だ。 雪山の山荘で、父親が転落死しているのを息子が発見し、母が警察に通報する。だが、事故死や自殺にしては不審な点があり、母親が疑われる。そこから映画は法廷劇を通して、夫婦の姿が顕にされていくのだが、本作の主題は犯人捜しではなく、人間関係の“落下”にある。愛し合う夫婦がいかに転落を迎えていくか。ここでは妻のほうが社会的に成功した存在で、夫は挫折したルーザーである。このパワーバランスに現代的な逆転が見られるのも、物語をおもしろくしている要因だろう。練られた脚本には、トリエ監督のパートナーで、『ONODA 一万夜を越えて』(21)を手掛けたアルチュール・アラリ監督も参加している。 ■名匠ジャック・オディアールの緊張感あふれるミステリー もう一人、現代のフレンチ・ミステリーの名匠として忘れられないのがジャック・オディアール監督である。彼は様々なジャンルを手掛けてはいるものの、その出世作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『預言者』(09)だ。19歳で刑務所に入った読み書きのできない青年が、非情な囚人たちのなかで綱渡りの駆け引きをしながら、サバイバル術を見につけていく。いまやハリウッド映画でも活躍するタハール・ラヒムの初主演作でもある。四面楚歌の絶望的な状況や一触即発の緊張感、そんななかで自由を希求する主人公の姿に思わず胸が熱くなる。 オディアール作品でもう1本おすすめしたいのは、ヴァンサン・カッセルとエマニュエル・ドゥヴォス主演の『リード・マイ・リップス』(01)だ。オフィスに勤める難聴の孤独な女性カルラが、アシスタント募集によりやってきた、ワイルドな魅力を秘めたポールと出会う。刑務所出の彼はまだ保護観察中にあるものの、カルラは彼に魅力を感じる。一方、ポールは彼女が難聴で、読唇術があることを知ると、一攫千金の犯罪に協力させようとする。倫理観と欲望の狭間で揺れるカルラの心情を掬いとる、カメラワークとサウンドデザインが秀逸。本作もミステリーの形式を借りた、社会から疎外された者を描くドラマと言える。 文/佐藤久理子