黒澤明賞受賞のフー・ティエンユー監督が語る 人とのつながりを描いた『本日公休』と日本への思い
母の世代が持っていた人々のつながり、その普遍性
池ノ辺 監督の作品『本日公休』を拝見したんですが、風景が日本の田舎にすごく似ているんですね。あの理髪店に寅さんみたいな人たちが来ていたというのも想像できますし、何よりお母さんが素敵でした。どこの国でもお母さんは気持ちが一緒ですね。監督ご自身のお母さんをモデルにされているんですよね。監督のお母さまのこれまでの人生を撮ろうと思ったんですか。 フー この映画は私の実家の理髪店で撮影していますし、理髪師だった母がモデルであることは間違いないのですが、母自身を描こうと思ったわけではなくて、そこがテーマではないんです。私はその理髪店で生まれ育って、母は近所に多くの常連客を抱えていました。母とその常連さんたちのお付き合いというのはとても長く続いていて、お互いに気心の知れた関係だったと思います。私は、そういった人と人のつながり、あたたかい関係、そういったものを描きたかったんです。というのも、こうしたつながりは、特に台北のような都市ではもう見られなくなってしまったんじゃないかと思うんです。今の価値観とは違うんでしょうね。でも、例えば何らかの見返りを求めずに人に何かしてあげる、そうした価値観はとても尊いと思いますし大事にしたい。そしてそれは母たちの世代が持っていたものだと思うんです。 池ノ辺 日本も同じですね。昔ながらの散髪屋さんも無くなってきていますし何より人との関わり方もずいぶん変わってきてしましました。それは世界共通かもしれないですね。だからこの作品を観ると懐かしさを感じて優しい気持ちになります。 フー そう言っていただけてとても嬉しいです。この映画の資金を集めるためにフランス、イタリア、メキシコ、日本など、いろんな国でプレゼンをしました。いずれの国でも、「自分たちの社会と同じ状況だ」と共感してくれたんです。ですから私は自信を持ってこの映画を作ることができました。もちろん日本でも受け入れられるに違いないと思ってはいましたが、実際にこのような感想を直接お聞きして、とても嬉しいですし感動しました。ありがとうございます。 池ノ辺 こちらこそ素晴らしい映画を作ってくださってありがとうございます。最後に、監督にとって映画とはなんですか。 フー 黒澤明監督の著作に「蝦蟇の油: 自伝のようなもの」という作品があります。その中にある言葉「映画は私にとって自伝のようなもの」を私は自分が映画を撮る、映画監督としての目標にしています。黒澤監督は、あれほどの素晴らしい作品をたくさん撮っていらっしゃいますが、その1本1本の作品は、おそらく監督にとっては自伝のようなものだったんじゃないかと思うんです。 池ノ辺 確かに今回の監督の映画はそうですね。次に何を撮るかもう決まっているんですか。 フー 次は心理サスペンスを撮る予定です。ジャンル的には今回と全然違うものですが、そこはやはり私なりの心理サスペンスというものを撮りたいと思っていますので、ぜひご期待ください。 池ノ辺 楽しみにしています。
インタビュー / 池ノ辺直子 文・構成 / 佐々木尚絵