もしもモグラが土を掘り続けることに疑問を持ったら…ドリアン助川が追及する「モグラの限界状況」
確かなリスの不確かさ#2
毎日、土を掘ってミミズを食べるだけの単調な日々な疑問を抱くモグラのおじさん。「限界状況」に陥った彼を救ったのは、妻のなにげないひと言だった――ドリアン助川、構想50年の渾身作。 【関連書籍】『動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』
人間の心を揺さぶってやまない『動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』から「モグラの限界状況」を一部編集してお届けする。
主役は、一匹のモグラのおじさん
心の危機は、越えられそうもない壁に直面したときに訪れるのでしょうか。それとも、平凡な日常から、ふいにやってくるのでしょうか。 これからお話しするのは、みなさんが歩かれている地面の下の、まっ暗な迷路の世界で起きたできごとです。主役は、一匹のモグラのおじさんです。名前をユーさんといいます。 青空がまぶしい秋の日の昼下がりのことです。街はずれの公園では、池のまわりを飛び交うアキアカネを追いかけ、捕虫網を持った子どもたちが走り回っていました。実にのどかな光景です。しかしその直下では、モグラのユーさんがシャベル代わりの手を腰に当て、トンネルのまん中で突っぷしていました。もちろん、真上の公園とは対照的に、陽の差さない地下世界ではなにも見えません。一年を通じて変わらない土の匂いと湿気のなかで、ユーさんは茫然としていたのです。 ふだんは、土があれば掘らずにはいられないユーさんです。なぜ、心ここにあらずといった様子で動きを止めていたのでしょう。それは、ユーさんの耳が偶然に捉えた音、おそらくはニンゲンの声が原因でした。 トンネルの壁に体を擦りつけながら移動するモグラは、円筒形の体をしています。耳も飛び出していません。滑らかな毛が覆う頭部に二つの孔があいているだけです。ただ、その感度はバツグンです。しかもトンネル内は、空気振動が拡散せずに伝わるので、ミミズのダンスやオケラの演奏だけではなく、地表のニンゲンの生活音も聞こえてしまうのです。金属の伝声管を通すように、すこし離れた場所のニンゲンの言葉もはっきりと聞こえます。 「ヘイ、ユー!相変わらず、つまんねえことしてんな!」 ユーさんが聞いてしまったのは、下町のあんちゃんが友人をからかうような、どこかに親しみのこもった声でした。気にする必要はなかったのかもしれません。しかしユーさんの胸に、この声はぐさりと刺さりました。「つまんねえ」という言葉が、体の奥までめりこんでしまったのです。 ちょっと待った。ニンゲンの言葉をモグラが理解できるのか?と疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょう。そこのところは……よくわかりません。ただ、野山や田畑だけではなく、ニンゲンが暮らしている街の地下にも、モグラたちは迷路の世界を造りあげています。モグラは原始時代からずっと、ニンゲンの言葉を耳にしてきました。それに気づいていないのは、我々ニンゲンの方なのです。