「イモ欽トリオ」長江健次 35周年で全国ツアーへ意気込み
超多忙だったデビュー時のスケジュール
──いちばんの恩人は欽ちゃんになりますか? 長江:恩人というより、デビューのきっかけをつくってくれましたから、大将がいないと今の僕はないですから。恩人は僕はいっぱいいるので。大将も含めて、さんまさんもそうだし、鶴瓶さんもそうだし、松山千春さんもそうだし、いろんな方々がいる。ソロになってから、長淵剛さんに曲を書いてもらったり、チャゲさんに曲を書いてもらったり、そういうのがあるので、歌わないのはもったいないなと。もういっぺん譜面を起こして、バンドのメンバーと少しずつですが、やり出したんです。 ──デビューの頃は超多忙だったようですが…。 長江:そうですね。ただ、学校に行ってたから忙しかったんです。大阪の公立高校に通ってましたから、その合間に歌番組出演や欽ドンの収録があったので。土曜日学校終わってから東京に行って、月曜日収録して、火曜日の朝イチで帰ってくる。歌番組出てる時は、木曜日授業終わってから、飛行機乗って東京に行って、歌番組出て、次の日の朝イチで帰ってくる。だいたいそんなスケジュールだった。それと当時は取材がすごかったかな。1日7本、8本、取材ばっかりでした。
いい意味でのアナログさは残しておきたい
その後、番組を降板し、大学進学を機に関西で芸能活動を再開。毎日放送「突然ガバチョ!」で笑福亭鶴瓶とともに司会を務め、明石家さんまとは「MBSヤングタウン」で共演した。 「中学校を卒業したらよしもとへ行きたいと思ってたし、中学校の時、最初に相談したのがさんまさんで、『高校だけは行っとけや』と言うことで、高校へ行き、その時に欽ドンのオーディションがあって、出たという経緯があるんですよ」と長江。 さらに「自分の中では関西人と言いながら、デビューしたのが東京やし、どっちつかずやった。でも今は大阪だろうが、名古屋だろうが、福岡だろうが、関係のない時代だと思います。それと僕はアナログ人間なんですけど、最近は一般の人と芸能人の境目がだんだん薄れてきている時代、インターネットが流行ってますけど、いい意味でのアナログさは残しておきたいなと思ってます」とも、話す。毎年1月はイモ欽トリオが集まって、神戸チキンジョージに出演。今年の2月から事務所に所属せずに、フリーで活動している。 ──どんなファン層が多いんですか? 長江:僕のファンは35歳以上の方が多いです。子どもの手が離れたファンのお母さんなんかは、生活に余裕があるのか、日本全国どこでも来られますね。最近は新たなファンもできていますけども。 ──今後のご予定は? 長江:お芝居も含めて、喜劇をやる方が少なくなってきているので、そういうのをやれたらなあと思っています。僕はぽっと出のタレントで、役者でもないし、歌手でもないし、それで35年やってきたんで。DJや司会もやってますけども、それを考えると、逆に何をやっても、それが僕の味だと思っています。お客さんが喜んでもらえるなら、喜んでもらえるお客さんがいる限りはやっていきたいなと思っています。 (文責/フリーライター・北代靖典)