「黄金のマスク」はツタンカーメン用ではなく継母のものだった!? 最新研究が新説を発表
古代エジプト第18王朝のファラオ、ツタンカーメンの「黄金のマスク」が、もともとツタンカーメンのために作られたものではなかったことが最新の研究で明かされた。アートネットが伝えた。 「少年王」として知られるツタンカーメンは、わずか9歳で王位につき、紀元前1332年頃から1323年頃までの約9年間エジプトを統治し19歳で死去した。死因は殺人説も唱えられたが、もともと遺伝性の病を患い体が弱かったところに馬車の事故に遭って足の骨を骨折し、その後マラリアに感染したためと考えられている。 当時、ファラオが亡くなるとその名誉を称え、死後その人物の魂が肉体と再会できるよう故人の顔に似せた黄金のマスクが作られた。ツタンカーメンの場合も同様に、彼の死後、そのミイラはマスクをかぶせられ、王家の谷に埋葬された。そして時は過ぎ、1922年にエジプト考古学者ハワード・カーターがツタンカーメンの墓を発見。その後1925年にようやく棺を開け、マスクが確認された。マスクは高さ54センチ、ラピスラズリや水晶など貴重な宝石で細かくモザイク状に象眼され、重さ2.5キログラムの黄金のあごひげが付けられていた。 しかし、イギリスにあるヨーク大学の新しい研究によると、そのマスクはもともとツタンカーメンのために作られたものではないという。根拠として、研究主任のジョアン・フレッチャー教授はマスクに描かれているピアスについてこう話す。 「研究によると、王は幼少期を過ぎてもピアスを着用しなかったと考えられるため、亡くなった時に耳にピアスが描かれることはなかったはずです。マスクのピアスは長らく見過ごされていた特徴です」 では誰のものだったのか。ピアスは通常、女性支配者や子どものマスクにのみ見られるものだった。フレッチャーは、おそらく紀元前1330年に死去したツタンカーメンの継母であるネフェルティティ女王のものだったのではないかと考えている。ツタンカーメンのマスクの顔部分に使用されている金は、他の部分に使用されている金とは全く異なるため、フレッチャーが話したように、ツタンカーメンの顔は「おそらくは女性の支配者のマスクに付け足された」と推測される。 ツタンカーメンの墓には塗料が乾いていなかった事を示す証拠が残っており、あまりに若く急だったツタンカーメンの死に、慌ただしく埋葬の準備が行われたことが伺える。だがネフェルティティの墓はまだ発見されておらず、そのため彼女の遺体は今日まで見つかっていない。フレッチャーは、「私は、そのマスクがツタンカーメン専用に作られたものではないと確信しています」と断言する。 ツタンカーメンの黄金のマスクは現在一部開館中の大エジプト博物館に所蔵・展示される予定だ。
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