ヤンキースvsドジャースのワールドシリーズ激闘史
ヤンキースとドジャースはワールドシリーズで過去最も多い11回も対戦し、数々の激闘を繰り返してきた。ドジャースがブルックリンに本拠を置いた時代は地下鉄シリーズと、ロサンゼルス移転後は北米大陸横断シリーズと言われていた。 【ブルックリン時代】 ▼1941年ヤンキース4勝1敗=ヤ軍2勝1敗で迎えた第4戦、ド軍1点リードの9回2死から三振振り逃げをきっかけに大逆転 ▼1947年ヤンキース4勝3敗=第4戦ヤ軍ビーブンスが9回2死までノーヒットだったがド軍逆転サヨナラ ▼1949年ヤンキース4勝1敗=20世紀初の黒人選手ド軍J・ロビンソン初出場も打率1割8分8厘 ▼1952年ヤンキース4勝3敗=ヤ軍の若き主砲M・マントルが2本塁打含む10安打と躍動 ▼1953年ヤンキース4勝2敗=B・マーチンが打率5割、12安打8打点の大暴れ ▼1955年ドジャース4勝3敗=ド軍がヤ軍相手に6度目の挑戦で初優勝。23歳左腕のJ・ポドレスが最終戦完封含め2完投勝利で同年制定のシリーズMVPに。 ▼1956年ヤンキース4勝3敗=2勝2敗の第5戦にD・ラーセンが史上初のポストシーズン完全試合で流れつかむ 【ロサンゼルス移転後】 ▼1963年ドジャース4勝0敗=左腕S・コーファックスが2完投勝利&23奪三振で寄せ付けず ▼1977年ヤンキース4勝2敗=ヤ軍R・ジャクソンが第5戦の最終打席から第6戦にかけ4打数連続アーチでド軍を粉砕 ▼1978年ヤンキース4勝2敗=G・ネトルズ三塁手の再三の好守もあってヤ軍が2連敗から4連勝 ▼1981年ドジャース4勝2敗=3年前と反対にド軍が2連敗後4連勝。MVPはセイ、ゲレロ、イェーガーと3選手同時受賞
報知新聞社