大奥のスキャンダル「延命院事件」を江戸のかわら版はどのように伝えたのか⁉ 【大江戸かわら版】
江戸時代には、現在の新聞と同様に世の中の出来事を伝える「かわら版」があった。ニュース報道ともいえるものだが、一般民衆はこのかわら版で、様々な出来事・事件を知った。徳川家康が江戸を開いて以来の「かわら版」的な出来事・事件を取り上げた。第5回は、大奥にまつわる1大スキャンダル「延命事件(絵島事件)」について。 江戸城の大奥が将軍の私生活の場所であり、男子禁制であったことはよく知られていた。大奥には、将軍の妻妾(さいしょう)とそれに仕える御殿女中(ごてんじょちゅう)の数百人が厳しい規則に縛られて暮らしている。規則では、御殿女中が江戸の町中に外出できるのは僅かなチャンスしかなかった。妻妾の御代参か、寺社詣で、宿下がりの時だけだった。いずれにしても限られた日数であったが、寺社詣でだけは比較的簡単に許可が下りたという。 こうした環境の中で、正徳4年(1714)に起きたのが「絵島(えじま)事件」であった。これは、将軍の生母の代参をしたお年寄り(御殿女中)・絵島が、守田座の役者・生島新五郎(いくしましんごろう)と密通をしたという事件であった。そのほぼ90年後の享和3年(1803)、今度は御殿女中と僧侶の密通というスキャンダル事件が起きた。罪状によれば僧侶と関係した女性は5人になっているが、「かわら版」などによると、何と59人を数えたという。この「かわら版」は飛ぶように売れた。 舞台は日暮里にある日蓮宗寺院・延命院(えんめいいん)。この寺は、日蓮宗の日長上人が祈祷によって3代将軍・家光(いえみつ)の嫡男・家綱(いえつな)を誕生させたことから開基され、家綱が4代将軍になると、幕府の永代祈願所となっていた。 延命院の第16世・日潤は32歳で住職になった。役者上がりで美男だったから、40歳になった今も女人の信者に圧倒的な人気があった。11代将軍・家斉の嫡男・家慶の御殿女中・梅村はお付きの女中・ころを伴って延命院に熱心に通った。もちろん、御代参としてである。 やがて噂を聞き付けて、他の大奥女中たちも延命院に行くようになった。これに目を付けたのが、納所(寺院でお布施の品物を扱う場所)の僧侶・柳全が、賽銭や寄進を目当てに日潤を煽った。そのために、2人は延命院の内部を改築した。祖師堂や七面堂の内部にどんでん返しや枝道、隠し戸付きの秘密部屋まで造ってしまったのだ。 これは、延命院を訪れる御殿女中たちばかりでなく、すべての女たちの欲求に応えるための改築であった。 御殿女中たちの多くがあまりに足繁く延命院を訪れることを不審に思った寺社奉行・脇坂淡路守(わきさかあわじのかみ)が家臣の妹を潜入させた。すると、延命院の秘密の内容や、出入りの女たちの実態、さらには日潤に御殿女中たちが送ったラブレターまでが明るみに出た。 関係者たちは一斉に捕縛され、裁判の結果 日潤らは死罪となった。7月29日に刑は執行されたが、罪状によれば「大奥の部屋女中・ころと密通に及び、ころを懐妊させ、堕胎の薬を与えた」など5人の女たちとの密通を理由に「死罪」としたのだった。 大奥を揺るがすスキャンダルとなったが、日潤と密通した女の数は、実は59人であったという。当然、奥女中も数人いたはずであるが、その辺りを「かわら版」も伝えられなかった。
江宮 隆之