日本人のランキング好きはいつから?江戸と大坂、地域性にじみ出る見立番付
意外に多い大坂の見立番付
先ほどの「都市ランキング」はまだ真面目な方で、多くの見立番付は、かなりどうでもよいことを取り扱っている。 例えば、次の「大日本餅饅頭見立相撲初編」である。これはタイトル通り、当時売られていた餅や饅頭のランキングだ。
別格として中央の柱に書かれているのは、当時有名だった餅屋と饅頭屋の名前である。大坂の店が6つ、尾張の店が1つ、江州(ごうしゅう・近江の異称)の店が1つ挙げられている。続いて大関を見てみると、東が京都の大仏餅、西が大坂の銭屋丹後とある。同じく関脇には、江戸の薄皮饅頭と大坂の岸部屋饅頭、小結には大坂の亀屋饅頭と江戸の金龍山餅が記されている。 どうも全体的に見ると、上方贔屓が強すぎるような気がするが、それも無理はない。この番付は、左の欄外に明記されているように、大坂の草紙屋から発行されたものだからである。 江戸っ子の文化の一つに数えられることも多い見立番付だが、実際の発行数は大坂が圧倒的に多かった。当時、大坂が日本一の商都であり、このような番付は商売にも大きな影響を与えるものであったことを踏まえれば、その理由も了解できるのではないだろうか。 見立番付は、非合法出版物で、かつ誰が書いたかさえもわからないものが多かった。そのため、ランキング自体に権威はないが、格好の「お喋りのネタ」にはなったようである。発行される度に、大いに話題になったという記録が残っている。だとすれば、こういったランキングに、自分や店の名を入れてもらおうと、ちょっとした袖の下を使う者がいたとしても不思議ではない。 ところで。余談ではあるが、よくよく見ると、京都の大仏餅、浅草の金龍山餅をはじめ、この番付に記された餅や饅頭は、現代まで生き残っているものも多いようだ。ものによっては200年以上も続いているわけで、これは驚くべき事実と言える。
江戸の「愚者と賢者」
庶民の「お喋りのネタ」を提供し続ける見立番付は、当時の「愚者と賢者」までランキング化した。その一つが、次の「ばかとりかう(馬鹿と利口)の取組」である。