【身体と私】生物学者・池田清彦が語る〈食の冒険〉Vol.1
いきなり、バンッて頭を切り落とす
――先生はGHQの占領下、1947年の生まれですね。 「そう、皆貧しかったよ。僕の実家は葛飾区の長屋。お寺の前に建っていて、昔はお坊さんが住んでいた。目の前のお寺には境内というか、庭みたいな場所があってね。そこで、鶏を飼っていたの。毎朝起きたらすぐに見に行って、卵を産んでいたら、とってきて食べる」 ――いいですね。 「それで産まなくなったら、つぶして食べる」 ――年配のかたから時おり「その光景がショックで鶏肉が食べられなくなった」という話を聞きます。 「僕の知り合いがまったく、それ。子供のとき、食卓に鶏肉が出てきて、美味しかったんだって。当時、肉はご馳走だから。それで親に『これ、どうしたの?』って聞いたら、『庭で飼っていた鶏だよ』って言われて、それから鶏肉が食べられなくなっちゃった。今でも、あんまり食べないもんね」 ――子供時代の先生はどうでしたか。 「僕は、ぜんぜん気にならなかったな。親父がつぶしているのを見たことあるけど……まあ、びっくりはするよ。だって、その頃のやり方って、鶏を片手でむんずと捕まえて、大きな切り株のところに持っていって、いきなりバンッて頭を切り落としちゃうんだから。 そうするとさ、頭のない鶏が首から血を吹きながら、そのまま10メートルぐらい走って、バタッて倒れる。すぐに血を抜かないと、肉が不味くなっちゃうから、倒れた鶏の脚を持って振って、頸動脈から全部血を抜いて、羽をむしって、解体して食料にする」 ――そりゃあ、中にはトラウマになる子もいるでしょうね。 「うん、だけどその頃、僕が小さかった頃は、生きものは基本的には食べ物だから当たり前だと思っていた。僕は小児結核で、保育園にも幼稚園にも行けなくてね。友達とも遊べないから、親父が時々、ザリガニ釣りに連れていってくれたんだ。僕が釣ったり、獲ったりしたアメリカザリガニは、ほとんど食べるの」 ――茹でる? 「腹部だけむしって茹でるか、天ぷらにして食べる。それで、食べない頭胸部は飼っている鶏のエサにする」 生物学者・池田清彦が語る〈食の冒険〉Vol.2に続く
【池田清彦/略歴】 生物学者。理学博士。1947年、東京に生まれる。東京教育大学・理学部生物学科卒。東京都立大学・大学院・理学研究科博士課程・生物学専攻・単位取得満期退学。山梨大学・教育人間科学部教授、早稲田大学・国際教養学部教授を経て、現在、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。フジテレビ系「ホンマでっか⁉TV」に出演するなどテレビ、新聞、雑誌で活躍。「まぐまぐ」でメルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」、YouTubeとVoicyで「池田清彦の森羅万象」を配信中。単行本の最新刊『食糧危機という真っ赤な嘘』(ビジネス社)が話題を呼んでいる。
VictorySportsNews編集部