シャルレーヌ公妃、ジェイソン・ステイサム、アン王女...オリンピック出場を目指していた意外なセレブたち!
ヴェラ・ウォンのアイスリンク
オリンピックへの出場が失敗に終わった有名人は、ジェイソン・ステイサムだけではない。1968年、後にファッションデザイナーとなるヴェラ・ウォン(当時19歳)は、グルノーブル冬季オリンピックへの出場を目指していた。当時、フィギュアスケーターとしてのプロキャリアを夢見ていた彼女は、すでにアメリカ選手権で実力を証明していた。しかし、1968年のオリンピックの選考には失敗した。それでも、後にミシェル・クワンなどのフィギュアスケーターのために衣装を制作することができた。
サルマ・ハエックの大きな人生の分かれ道
幼い頃、まだ女優ではなかったサルマ・ハエックは、まったく別の目標に向かっていた。 体操選手として才能を見出され、スカウトマンによって発掘された。そして、オリンピックに出場するためにメキシコ代表チームに参加する提案を受けた。「彼らは私を......オリンピックチームの一員としてリクルートしたのです!」と、彼女は2012年に『ニュージーランド・ヘラルド』紙で語った。 しかし、女優の父親によってその可能性は絶たれた。「私は8歳か9歳でした。父が反対した理由は、メキシコに住むことになり、体操選手の寄宿学校に通い、一日6~8時間のトレーニングを受けなければならなかったからです。私にとってそれは夢のような状況だったけれど。」と彼女は語っていた。2015年、女優はInstagramに大開脚をしている自身のヴィンテージ写真を公開した。「今でもこれができたらいいのですが、少なくとも昔は体操選手だった証拠があります」と彼女は投稿のキャプションに書いた。
アーチェリー選手だったジーナ・デイヴィス
別の女優も、競技に参加する可能性があった。映画キャリアの初期に、ジーナ・デイヴィスはアーチェリーに対する情熱を見出した。そのきっかけは1996年、アトランタオリンピックを見ているときだった。『テルマ&ルイーズ』(1991年)のヒロインは、弓矢を放つ才能を持っていることが明らかになった。その結果、1999年7月には、翌年のシドニー夏季オリンピックに出場するためにアメリカのオリンピックチームの準決勝進出を目指す300人の女性のひとりとなった。24位にランクインしたが、予選通過には至らなかった。しかし、シドニー国際ゴールデンアロー大会には参加した。