ジャズの器楽演奏を歌にした「ボーカリーズ」に創造性はなかったのか?
ボーカリーズに創造性はなかったのか?
とはいえ、このジェファーソンのボーカリーズは、このビ・バップ時代ならではの素晴らしい創作であった。遊びと笑いは、いつの時代も創造の源で、この時代の創造性が、チャーリー・パーカーらの破天荒な即興演奏だけじゃないということをこのボーカリーズは、示しているのではないだろうか。この即興演奏を歌にして再現するという世界は、その後もボーカルの一分野として残り、とくにコーラス・グループの世界では重要な位置にある。ランバート、ヘンドリックス、ロス(のちにベバン)というトリオが有名だが、さらに後年、マンハッタン・トランスファーというジャンルをこえた超人気コーラス・グループが生まれた。 確かに有名なジャズの演奏をそのまま歌にするという芸は、技術的には圧倒されるものの、どこかオリジナリティーに欠ける表現ではないかという意見があるかもしれない。しかし、それでも遊びを源とする芸の面白さは、そう簡単に消えるものではないとも思う。このボーカリーズの創始者のジェファーソンはこう言っている。 「これをやってみようと思いついたのは、ジャズの即興は、どれもストーリーがあるように思えたんだ。だから、その物語を歌詞にして歌うことを思いついたわけさ」 ジェファーソンは、この「遊び」を晩年まで続け、マイルスの「ソー・ホワット」、さらにはエレクトリック時代のマイルスの「ビッチェス・ブリュー」まで歌っているから驚きである。音楽がどうであろう、その基本は変わらないということだ。ただ、この愉快な才人の最期は不幸だった。晩年はリッチー・コールというチャーリー・パーカーを敬愛する若き人気アルト・サックス奏者と組んでステージに出ていたが、ある日、コールとクラブから出て街を歩いていると、傍らを走っていた車からジェファーソンを狙った凶弾が発射された。ジェファーソンに解雇されたダンサーがただちに逮捕され、犯人とされたが、後に公判では無罪の判決が下りている。真相は不明ということである。 (解説・青木和富)