被災者たちに「足湯」「ユニットバス」を提供し心身を温める 能登で支援活動を行う神戸のボランティア団体『神戸の人は昔に被災した人が多いからひと事じゃないんですよ』
能登半島地震の発生から1か月となりましたが、今も1万4000人以上が避難生活を続けています。そうした中、避難所などで暮らす被災者に寄り添いながら支援を行う神戸市の男性がいます。 【写真を見る】神戸の街で募金活動をする吉椿さん『自分事として考えられるように僕らは間を繋いでいく』
神戸市にあるボランティアNGO「CODE海外災害援助市民センター」。この日、被災地・能登へ向かうための準備が進められていました。 事務局長の吉椿雅道さん。地震翌日に被災地に入り、今回で2回目です。吉椿さんは29年前の阪神・淡路大震災をきっかけに活動をはじめ、2008年の四川大地震、2023年に発生したトルコ・シリア地震など、国内海外問わず被災地での支援を続けています。 (吉椿雅道さん)「(持っていくのは)在宅避難している人が困っているのでバッテリーとか毛布とか、あとは炊き出し用の米とかですね。僕は別に何がしたいとかはあまりなくて、被災者たちが助けあっているのを後ろからそっと支えるという感じですかね」 NGO協働センターとともに5日間、これまでの経験を生かした支援をするつもりです。 今回、活動の中心となるのは能登半島の中心部に位置する七尾市。震度6強が観測され、1万棟以上の建物が被害を受け、5人が亡くなりました。 1月20日、訪れたのは地域の公民館。自宅に戻れない高齢者ら30人以上が避難生活を続けています。ただ、山あいに位置するため「市からの援助が十分ではない」という住民の声を受けてやってきたのです。
『足湯』につかる被災者に優しく語りかける
到着するとすぐに、“ある準備”にとりかかります。「足湯」です。東洋医学を学んでいた吉椿さんが阪神・淡路大震災の時から29年続けている支援の1つです。 (吉椿雅道さん)「足湯ってお湯に足をつけるだけなんだけど、被災者の人が…僕らは『つぶやき』と呼んでいますけど、心に溜まってるものを吐き出すことに意味があると思ったので。皆さんいろんなものを(胸に)詰めている」 早速、80代の女性がやってきました。地震が発生した日からここで避難生活を続けています。足湯に入ってもらうと、手のマッサージも行います。そして、優しく語りかけます。 (吉椿さん)「立派な手ですね。農業か何かやっていたの?」 (女性)「田んぼと畑をやっていた。82歳まで田んぼして、畑は今でもやっている。食べる分だけ」 (吉椿さん)「食べる分だけ作ってるんですね。何を作ってるの?」 (女性)「玉ねぎとか、ほうれん草、大根や白菜、ジャガイモ」 約10分間、女性の声に耳を傾けます。すると次第に… (女性)「親戚も周りにいて良かったけど、出ていってしまった。いとこもバラバラに、ここから出ていってしまった。地震の日に一緒にここに来たんやけど。子どものところに行った方がいいって言われて、行ったみたいやけど」 (吉椿さん)「離れたくないもんですか?」 (女性)「やっぱり近いところにいたいです」 (80代の女性)「どうしようどうしようとため息ばっかり出ていた。ここまで遠いところから来てくださって、足がぽかぽかして体も温まるし、ありがたいです」 その後も途切れることなく、人が訪れます。 (吉椿さん)「自分でどこか逃げて?車とか?それは大変やったね」 (女性)「びっくりやね。長いよね、余震がね」 (吉椿さん)「そうやね、何回も余震がね。夜は眠れてます?」 (女性)「まぁまぁ」 (吉椿雅道さん)「足湯してると、会話は10分なんですが、いろんなことが見えてくる。ここに足湯で会話していく中で地域のことが見えてくるし、そこから僕たちができることは何か考えていきたいと思います」