自民党“派閥なき総裁選”はただの「人気投票」と化すか?「選挙に勝てれば」「冷や飯はイヤ」にじむ議員たちの保身
(白鳥浩:法政大学大学院 教授) ■ 岸田首相が開いた「パンドラの箱」 日本政治は現在危機にある。内閣支持率は喫水線を下回って久しい。 【写真】かつて、現職の首相でありながら総裁選で敗北し「天の声にも変な声」という言葉を残した候補者もいた…数の力の“権力ゲーム”だった自民党総裁選はどうなるか? 岸田文雄首相の8月14日の自民党総裁選への不出馬表明は、そうした現状を打開するべく行われた。と同時に、それまで「閉じられてきた」総裁選をめぐる動きが顕在化し、「パンドラの箱」を開けるということにつながった。 なぜこれを、「災いの引き金」の例えであるパンドラの箱と言い表すのか。現状を紐解きながら見ていきたい。 この首相の不出馬表明は、これまで「派閥の解散」や「首相の政倫審出席」といったサプライズを行ってきた岸田首相の「最大のサプライズ」といってよい。 その一週間ほど前の8月6日には、岸田政権を支えてきた「キングメーカー」である麻生太郎元首相が「(岸田政権は)政策では間違ったことはしていない」「安倍晋三元首相が計画して難しいと思ったことでもしっかり結果を出している」という発言をしたと報じられていた。政権の継続も視野に入れた発言と考えられていた矢先の表明は、驚きをもって受け止められた。
■ 数の力の「権力ゲーム」に屈した菅政権と岸田政権 現職の総裁が、総裁選への出馬を断念するのは1982年の鈴木善幸、1991年の海部俊樹、1995年の河野洋平、2012年の谷垣禎一、2021年の菅義偉に続き6人目となる。現職首相で出馬断念となったのは、鈴木、海部、菅の各氏に続き4人目であり、特に首相が出馬断念になったかたが二代続いていることは注目される。 菅氏は「ガネーシャの会」といった緩い支持集団はあるものの無派閥である。岸田氏を支える岸田派は、解散を決定するまでは党内第四派閥であり、多くの派閥の解散表明後は第三派閥であった。そうした首相を支える「数の力」の欠如が、これらの政権の安定性を損ない流動性を高めていたところがある。 そもそも、この菅政権、そして岸田政権の成立自体が、強力な派閥による合従連衡の枠組みの上に載っていた政権であり、そうした意味では、首相は自らを支える主流派閥に配慮せざるを得ず、首相のリーダーシップが発揮しづらい状況があり、不出馬となったともいえる。 こうした、派閥の「権力ゲーム」という総裁選の側面は、1978年のケースによく表れている。現職の首相でありながら、総裁選で大平正芳氏に敗北した福田赳夫氏の事例だ。 予備選で敗北し、本選を辞退した福田氏はこの時に「天の声もたまには変な声がある」という発言を行った。他の派閥の多数派工作の前に敗北したといってよい。 このように自民党総裁選の歴史は、派閥を中心とした党内抗争の歴史であった。