伝統のバンタム級で3階級制覇へ! "ネクストモンスター"中谷潤人をプロボクサーへと導いた「無冠の帝王」の教え
「入門体験で初めてジムに行ったとき、広三会長は自らサンドバッグを叩いて見せてくれました。そのときの記憶は今も鮮明に残っています。広三会長が現役時代に得意としていた左フックを打つと、サンドバックが『くの字』に折れ曲がったのがすごく衝撃的で。世界のリングで戦った話は聞いて知っていたのですが、『やっぱり世界で戦っていた一流ボクサーはすごいな』と感動しました」 名古屋の天熊丸木ジムに所属していた石井は、常にKO狙いの強気な戦いが特徴の人気ボクサーだった。世界初挑戦(1999年11月)では王者ネストール・ガルサに真っ向勝負を挑んで、ダウン寸前まで追い込んだ。ポイントで終始互角に渡り合い、勝負に出た最終12ラウンドにカウンターを浴びてTKO負け。世界のベルトはあと一歩で逃したが、壮絶な戦いは同年の日本ボクシング界における年間最高試合に選ばれた。
以後はオーバーワークによる腰痛などに悩まされ、本来の実力を発揮できないまま2003年9月7日、3度目の世界挑戦に敗れた試合を最後に引退。天熊丸木ジムでトレーナー経験を積んだのち独立してジムを開いた。 「普段はおおらかで、とても優しい会長でした。毎回しっかり褒めてくれて、長所を見つけて伸ばす指導でした。空手では挫折ばかりでしたが、小さな成功体験を積み重ねて試合でも勝てるようになって、自信が持てるようになりました」 石井の「褒めて伸ばす」指導でボクシングの魅力に取り憑かれた中谷は、毎日休むことなくジムに通い続けた。ただ、それは単に楽しいといった内容とは違う、本格的なものだった。 「今振り返れば最初からプロボクサーになるための指導でした。広三会長は現役時代、ファイターだったこともあって常に相手を倒すことを意識していました。例えば、拳とサンドバックに数cmという狭い距離を置いた状態から、いかに相手を倒せる強いパンチが打てるようになるか、という練習を毎回繰り返しました。 『勝負にこだわれ』とはいつも言われていました。遊びの中でのコミュニケーションでも、サイコロを3つ持ってきてマグカップの中に落としてゾロ目が出るかどうか、という賭けをして、負けたらほっぺたをつねられる、みたいな遊びをしたり(笑)。ボクシングでも遊びでも、勝負事にはすごくこだわる方でした」 中学2年で出場したU-15全国大会(32.5kg級)で初優勝。日本ボクシングの聖地、後楽園ホールのリングにも初めて上がることができた。眩しいスポットライトと観客の声援を浴びながら戦う経験は、よりボクシングに対する情熱を強くさせた。 「必ず世界チャンピオンになれるから。頑張ろうな」 石井会長に励まされながら、構えたミットにパンチを叩き込み、汗を流す日々。中学卒業後は高校に進まずプロボクサーを目指すと決めた。石井会長や両親、周囲からも「せめて高校は出ておいたほうがいい。プロになるのはアマチュアで日本一になってからでも遅くないのでは」と諭されたが、決意が揺らぐことはなかった。 「潤人は必ず世界チャンピオンになれる。もしなれなければ自分の責任」 石井が周囲にそう話していることを人づてに聞いて嬉しくなった。「大好きな広三会長と一緒に世界チャンピオンになる」というのが、中谷少年が見つけた夢。 中学3年になると、プロボクサーを目指す試金石として、U-15全国大会は階級を7.5kg上げて40kgクラスで連覇を目指すことにした。 そんな矢先、大好きな広三会長は突然姿を消してしまうのだった。 (このつづき、第2回は明日配信!) ■中谷潤人(なかたに・じゅんと)1998年1月2日生まれ、三重県東員町出身。M.Tボクシングジム所属。左ボクサーファイター。2015年4月プロデビュー。2020年11月、WBO世界フライ級王座獲得。2023年5月にはWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し2階級制覇達成。2月24日、東京・両国国技館にてアレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ)の持つWBC世界バンタム級王座に挑戦する 取材・文・撮影/会津泰成