「AIと人間」の関係は「勝ち負け」しかないのだろうか?…〈短歌AI〉の取り組みから見えてきた「勝ち負け」にこだわらない「付き合い方」
令和の世で、空前のブームとなっている「短歌」。 そしてもはや私たちの日常にも深く入り込んでいる「AI」。 【写真】「感情を持たないAI」は、人間のように上手に短歌を詠めるようになるのか 感情を持っていないはずのAIが、どうやって、まるで人のように短歌を詠めるようになるのか。そこで見えてきたAIと人との幸福な関係性とは? ーー〈短歌AI〉の開発に心血を注いできた気鋭の研究者・浦川通氏がわかりやすく解説する。 本記事では、「AIと人間」との「多様な付き合い方」の可能性についてくわしくみていきます。 ※本記事は講談社現代新書の最新刊『AIは短歌をどう詠むか』から抜粋・編集したものです。
「勝ち負け」しかないのだろうか
「AIと人間」という話題になると、「勝ち負け」について議論されることが多いように感じます。2017年には世界トップ棋士に勝利したコンピュータ囲碁プログラムの「AlphaGo(アルファ碁)」が大きな注目を浴びましたが、これはまさしく勝負の世界の出来事で、囲碁において機械が人に勝てるわけがない、と考えていた当時の人々の認識をひっくり返した事件と言えます。 さらにそこから遡って1997年には、IBMの開発するスーパーコンピュータ「ディープブルー」が世界チェスチャンピオンを打ち負かし、これは世界で初めてチェスチャンピオンに勝利したコンピュータとして記録されています。2011年にも、同じくIBMが開発した質問応答システム「ワトソン」が、知識が問われるクイズの世界で人間に勝利します。 このように、人間対AIの歴史は古く、いずれも大きな驚きをもって記憶に刻まれており、あらゆる世代でこの「勝ち負け」という価値観は受け継がれていることでしょう。 短歌と同じく定型詩の一つである「俳句」でも、人とAIの対決が行われています。2018年に放送されたNHK『超絶 凄ワザ! 』という番組で、北海道大学が研究を進めている俳句生成AI「AI一茶くん」が、風景画像をお題に俳句をつくるという企画で人と対決しました。結果は「惨敗」であったと開発者は記していますが、ここでも「勝ち負け」という文脈でAIが取り上げられています。AIの現在の性能を測り、また人との差異を見るためにも、競争をする、といったフォーマットは確かにとてもわかりやすい構図だと感じます。 私たちの〈短歌AI〉についても、これを初めて耳にする方からは「ほんとうに良い歌をつくれるのか」「人の方がいいに決まっている」といった声がよく上がります。しかし、短歌には囲碁のような明確な「勝ち負け」のルールはありません。前にも述べたように、短歌は何か一つの絶対的な「良さ」を他者と競争する文化ではないでしょう。つまり、短歌においては「勝ち負け」という視点はむしろ設定しにくく、それとは異なる関係性の構築へと想像を広げるのが重要ではないかと考えます。 だからと言って私は「短歌の作歌にもテクノロジーが積極的に応用されるべき」という主張を持っていません。しかし、例えばもしあなたが短歌をつくるとき、「あれ、これ、いつか見た誰かの作品に似ているかも?」と不安を覚え、検索サイトを開く可能性はないでしょうか。 また、自作の歌をインターネットに公開し、会ったことも見たこともない、匿名の人たちによって即座に評価されて、喜んだり、あるいは時に傷ついたりといった経験をするかもしれません。こういったことも、いつかの過去時点ではあり得なかった「テクノロジーの進化と短歌」に関連する出来事として捉えることができるでしょう。つまり、何らかのテクノロジーの影響を受けながら短歌をつくるという状況は、すでに始まって久しいとも言えるのです。 テクノロジーは、私たちの生活に深く入り込み続けていて、私たちはそれをあえて意識することなく毎日を過ごしています。ChatGPTに代表されるように、言語モデルが日常生活のなかで提供されるサービスとして扱える状況は、すでにもう始まっています。いつか、いまAIと呼ばれるテクノロジーが水のようにふつうに日々の生活に浸透しているかもしれません。そんななかで「短歌をつくる」ということ、もっと言えば「人間である私としての短歌をつくる」ということについて、一度考えてみたいと思います。 〈短歌AI〉の取り組みでは、実際に短歌を生成するAIをつくってその成り立ちについて考え、挙動を観察し、また歌人の方々に触れてもらうことで、「勝ち負け」にこだわらない、「多様な付き合い方」の可能性が見えてきました。それらを、この章でまとめてみようと思います。