35歳になった“ガテン系モデル”の現在地「芸能活動が厳しい時期もダンプの仕事に救われた」
モデル時代の“しくじり”から学んだ仕事のありがたみ
古澤さんに転機が訪れたのは17歳のときだった。芸能事務所からスカウトされ、美容室のカットモデルや雑誌の読者モデルとしてデビューしたのだ。 だが、まだ当時は仕事へのひたむきな姿勢が足りず、“しくじり”を経験したと古澤さんは話す。 「当時は世間知らずだったこともあって、モデルの仕事を依頼されても、気が乗らないときは“ばっくれ”していたんです。それを繰り返していたら、次第に声が掛からなくなって。 そのときに初めて、仕事のありがたみがわかったというか。オファーがあることの大切さ、真面目に仕事へ取り組むことの重要性にあらためて気づきました」 以来、ギャル系雑誌『JELLY』や『nuts』での読モ活動や、写真週刊誌『FLASH』での水着グラビアなど、芸能活動の幅を広げていく。
芸能活動が厳しい時期も「ダンプの仕事」に救われた
22歳で高校卒業後、“ガテン系モデル”として注目を集め、「踊る!さんま御殿!!」や「ヒルナンデス!」、「スクール革命!」(以上 日本テレビ系)、「ダウンタウンDX」(読売テレビ系)といった地上波のテレビ番組にも多数出演した。 しかし、ひと通りのマスメディア露出が落ち着くと、特に一芸に秀でたものがなければ、継続的に出演オファーをもらうのは難しくなる。 古澤さんも、いっとき芸能の仕事が増えた時期もあったが、熱が冷めた後は、仕事が一気に減ってしまったと吐露する。 芸能活動の厳しさに直面したなかで、救いになったのは10代から続けてきた「ダンプの仕事」だった。 「22歳で高校を卒業し、大型免許を取得したことで、ダンプ運転手の仕事の幅が広がりました。この仕事の最大の利点は『仕事量を調整できる』こと。芸能の仕事は急に入ることもよくあるので、うまくスケジュールの融通を利かせられたのは大きかったですね。 家族経営の会社だったからこそ、いきなり休みを申し出ても許されたというか。逆に芸能の仕事が減っても、そのぶん実家の仕事を頑張ればいいので、そういう意味では今でも家族には本当に感謝しています」