「地方創生」は鄧小平の改革開放に学べ!~ふるさと納税はアフリカへの食料援助と同じ、発展への妨げ
北朝鮮より貧しい国を救った「改革開放」
今や、習近平氏の「毛沢東回帰路線」によって、昨年8月31日公開「中国は崩壊か? それとも『失われる50年』か? いずれにせよ日本のバブル崩壊以上の惨劇が待っている」という状況に陥っているのが共産主義中国である。 【写真】中国は崩壊か? それとも「失われる50年」か? 逆に言えば、2019年1月9日公開「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『悲しき運命』を読む」で述べた、鄧小平の「改革開放」を始めとする「遺産」がどれほど大きかったのかということを如実に示す。 1978年に改革開放が始まる前の中国は、毛沢東の「大躍進政策」や「文化大革命」によって荒れ果て、「北朝鮮よりも貧しい」とされていた。 その「北朝鮮よりも貧しい」中国を(毛沢東の「大躍進」とは違って)本当の意味で「大躍進」させ、世界第2位のGDP大国に押し上げた原動力が「改革開放」であることは言うまでもない。 だが、この改革開放を(実務レベルで)成功に導いたのが、多くの場合中国共産党ではなく、(中国共産党の支配から逃れ、海外逃亡した人々を含む)華僑たちであることは意外に知られていない。 客家である鄧小平は、ある程度市場原理を理解していたからこそ「改革開放」を立案し実行できた。しかし、当時のほとんどの共産党幹部や多くの一般国民は「市場原理」や「資本主義」についてあまりよくわかっていなかったのだ。 1949年の「建国」以来、30年近くにわたって、「市場経済や資本主義を全面否定」し、「走資派」なる言葉を用いて、少しでも市場原理や資本主義を理解できる人々を徹底的に排除してきたのだからそれも当然である。 だから、改革開放初期の中国共産党は、「中国から逃げ延びた」華僑の実業家達を、「三顧の礼」を持って改めて迎え入れ、現在では敵対的言動が目立つ日本に対しても深く頭を下げて協力を要請した。
「改革開放」政策をリードしたのは華僑
華僑実業家達は共産党が支配する中国に警戒感を持ちながらも、おそるおそる協力を始め、それが「中国の奇跡の成長」につながる。 特に鄧小平と同じ客家のリー・クアンユーが率いていた「華僑国家」であるシンガポールは、特筆すべき働きをした。それまでほとんど途絶していた「西側」への窓口として活躍したのだ。しかも「明るい北朝鮮」というニックネームが示すように、「経済活動の自由」は保証されていても「政治的自由」がほとんど無いシンガポールは、共産主義中国が「資本主義化」するための良いお手本でもあった。 また、現在の中国の証券市場の基盤は日本の金融機関が全面協力して構築された。さらに、日本経済新聞 2018年12月19日「鄧小平氏が頼った松下幸之助氏 中国、改革開放貢献の外国人を表彰」と報道されるように、松下幸之助を始めとする多くの日本の財界人が改革開放に力を貸した。 中国共産党に「市場経済」、「資本主義」のノウハウが無かったから、華僑や日本などに頼らなければ改革開放が出来なかったのだ。 そして、改革開放前の中国と同じような状況に追い込まれているのが、日本の地方ではないかと思える。 ミニ毛沢東とも言える「地方のボス猿」が、「市場経済」や「資本主義」を破壊し、地方を「東京よりもはるかに貧しく」しているということだ。 そしてそのような「疲弊する地方」を救うには、日本の地方における「改革開放」が必要不可欠だと考える。