引退決意のソフトバンク・和田毅、”甲子園で味わった屈辱”を糧にした「無駄なことはない」野球人生
「これまでの野球人生の中で、無駄なことはない。そこは誇りに思っている」 プロ野球人生に終止符を打った、ソフトバンク・和田 毅投手(浜田高出身)が5日に行った引退会見での言葉が心に響いた。 【一覧】プロ野球 戦力外・引退者リスト 時は26年前にさかのぼる。暑さが厳しい8月の甲子園球場の取材スペースに、島根代表・浜田高校の背番号1が、敗れたチームの「選手代表」として報道陣の前に立った。高校3年生の和田だった。 準々決勝で接戦を演じるも、豊田大谷(愛知)に延長10回サヨナラ負けした。粘り強い投球は実らず、初の8強に進出したチームの「主役」の心は、悔しさでつぶれそうだったに違いない。それでも、和田は「クール」に試合を振り返って、淡々と分析するように反省の言葉を並べた。高校生と思えない冷静さを感じたことを思い出す。 俳優の反町隆史そっくりと、人気をあおるマスコミもあったが、もともと外野手だった男が苦労と努力を重ねて投手として一人前になっただけに、ここで終わるような男ではないと思った。その予感は的中した。 実は、和田は2年連続で夏の甲子園をサヨナラ負けであとにしている。2年生の夏も甲子園に出場したが、初戦で秋田商(秋田)にサヨナラ負けを喫した。それも2点リードの9回に自らのバント処理のミスなどで同点とされ、満塁策をとった末に、ストレートの押し出し四球を与えての悲劇。その悔しさをバネに、3年夏にはチーム初の8強を成し遂げた。結果は、またも2年連続となるサヨナラ負けとなったが、その屈辱は、それからの和田の野球人生の「原点」になったような気がする。 早稲田大に進学し、打者がタイミングを取りにくい、左腕を体で隠すようなフォームと、針の穴を通すような制球力を身に付け、ダイエー(現ソフトバンク)に入団。1年目から日本一を経験し、胴上げ投手、新人王にもなった。その後もタイトルも手にし、MVPも獲得した。メジャーにも挑戦し5勝を挙げた。そんな栄光とは裏腹に、野球人生に終わりを告げようかと思うほどの左ひじ、肩の故障に見舞われた。それでも和田は這い上がった。 日米通算165勝。自分に厳しく、自己管理を怠らない左腕のすべてである。 日本プロ野球で「松坂世代」最後の選手がグラブを置く。松坂世代が活躍した1998年夏甲子園は、本当に忘れられない。横浜(神奈川)-PL学園(大阪)の準々決勝延長17回激闘と、決勝の横浜・松坂大輔投手によるノーヒットノーランが象徴的だが、鹿児島実(鹿児島)の杉内俊哉投手(元ソフトバンク、巨人)が、初戦の八戸工大一(青森)戦でノーヒットノーランを達成した。宇部商(山口)の藤田修平投手(2年)が豊田大谷との2回戦で延長15回サヨナラボークをおかして涙した。ある試合では打球を処理しようとした外野手の腕がフェンスに挟まったり、ネット裏のスタンドにハチの巣が現れたりと、グラウンド内外でも話題がつきなかった。 和田のなかで、現役野球人生の「夏」も終わった。ファン期待通りの指導者になって、再びユニフォームを着る日が待ち遠しい。