鉄パイプで滅多打ちに...「両手両足粉砕骨折」虫の息に追い込まれた「革マル派」佐藤政雄が狙われた「残酷な」理由
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第27回 『「東日本ではストをやらせない」... 毒を取り込み再利用⁉ 流出した「JR東日本幹部発言メモ」』より続く
異動先で裏切りへ
1987(昭和62)年4月、国鉄がJRに生まれ変わると、かつての改革三人組は名実ともに本州の3社に分かれた。そしてそれぞれ立場の違いを鮮明にしていく。 国労対策のために動労執行委員長の松崎明を抱き込んだ葛西はJR東海で一転、反動労に舵を切った。葛西の動労切りの象徴的な出来事として語られるのが、松崎の腹心中の腹心と呼ばれた佐藤政雄の扱いである。 国鉄には長年東海道新幹線と山陽新幹線の運行管理をしてきた新幹線総局があり、国労や動労など各労働組合がそこに地方本部(地本)を置いてきた。動労に限らず、労働組合にとっての新幹線地本は、国鉄収益の中核を担う新幹線事業における活動拠点となる。それだけに組織にとって最も重視されてきた。 佐藤はその動労新幹線地方本部委員長を務めてきた幹部組合員だ。自分自身は革マル分子ではないと公言してきたが、新幹線地本時代に松崎と行動をともにするようになり、二人はやがて切っても切れない間柄となる。国鉄職員局の元幹部職員が説明してくれた。 「松崎の目に留まった佐藤は国鉄改革のとき、新幹線地本の委員長から動労中央本部の副委員長に抜擢され、メキメキ頭角を現していきました。革マルではないと言ってきた佐藤は過激な組合活動には加わっていないはずでした。ところが、ある日内ゲバに巻き込まれて瀕死の目に遭うのです」