激しく愛し合った「不倫相手のアソコ」を切断したのち彼女は…「伝説の娼婦・阿部定」の“その後の人生”(1936年の事件)
「あの頃、人殺しなんて無かったから、大変だったんだよ」
「私は12、3歳ぐらいだったかね。この通りに新聞社の車がだーっと並んじゃってね。家じゃ新聞社からの電話が鳴りっぱなし。あの頃、人殺しなんて無かったから、大変だったんだよ」 事件は今から75年も前のことではあるが、大きな衝撃を人々に与えたことがよくわかる。 阿部定事件はどうして、今も多くの人々の気持ちを捉えて離さないのだろうか。女性が男性器を切断し殺害するという事件は、阿部定事件以降、起きているのかもしれないが、公にはなっていない。彼女は切断した吉蔵の男性器とともに血染めの股引やズボンも着込み逃走、逮捕後、警察で吉蔵の衣服を押収されるのを拒んだ。取り調べにおいても、どこか満足気な表情を浮かべていたという。 妻帯者であった吉蔵との道ならぬ恋ゆえに、生かしておいたら他人のものになってしまうとも彼女は言った。純愛がいきつくところまでいった故の殺人。彼女にとって吉蔵を殺めることは、彼を自分の心の中だけで生かすことでもあった。阿部定は静岡県身延山久遠寺に吉蔵の永代供養をしている。1987年まで毎年吉蔵の命日は花が届いたというが、今では届かなくなり、行方は杳として知れない。
八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載)
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