名人戦物語(3)~実力制名人戦の発足に少なからぬ影響を与えた名局
伝説の棋士・阪田と土居
1935年(昭和10年)に始まった実力制名人戦。第1期は木村義雄八段が2年半にわたるリーグ戦を制して、名人の座に就きました。そして名人戦が盤寿を迎えた令和5年、藤井聡太新名人が誕生しました。名人戦は新しい時代に入ったのかもしれません。 【解答図】阪田を大長考させた一手 現在、4月開催予定の第82期名人戦(主催:朝日新聞社・毎日新聞社)七番勝負の挑戦権をめぐってA級順位戦が進行中です。 本稿では2023年12月22日に発売された、『名人戦物語 実力制名人発足から藤井聡太名人誕生まで』(マイナビ出版)掲載原稿より、3回にわけて過去の名勝負、名場面を振り返っていきたいと思います。 最後になる第3回では、大正6年に行われた阪田三吉と土居市太郎七段の一戦を振り返ります。読者の皆さまも、対局者になったつもりで、次の1手を考えてみてください。 ■師匠、関根金次郎の借りを返した、土居市太郎七段の一手 対局データ その他の棋戦(詳細不明) 大正6年10月16日 東京「日本倶楽部」 ☗土居市太郎七段―☖阪田三吉八段 ■指し手のヒント 大正6年10月16日に東京の「日本倶楽部」で行われた阪田三吉と土居市太郎七段の一戦です。結果として、この対局の勝敗は実力制名人戦の発足に少なからぬ影響を与えました。先手は詰めろをかけたい場面ですが、どう打ったでしょうか?
阪田名人の誕生ならず
■第3問解答 ☗4一飛 実力制名人戦の発足は昭和10年。その18年前に、この勝負がありました。当時、十二世名人の小野五平は高齢で名人の継承者問題が持ち上がっていました。筆頭候補は関東の関根金次郎でしたが、関西では阪田を推薦する声が大きくなっていました。50歳近い関根は近年の成績で阪田に押され気味だったからです。 そして本局直前の対局でも関根は阪田に敗れていました。阪田名人誕生の機運が高まったとき、その前に立ちふさがったのが関根の弟子の土居でした。土居の次の一手は☗4一飛。これが詰めろです。阪田は大長考で☖9三飛と打ちましたが、これは詰めろではなく☗4三歩成(図)で先手勝ちが決まりました。
将棋情報局