【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第8回)曲作りに没頭する日々
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】風 アルバムジャケット ほか 第8回 曲作りに没頭する日々 風はその最初から、特にこういう音楽をやろうといったような具体的な方向性を決めたものではなかった。僕と大久保くんが気の赴くままに自由なスタンスで活動していくことが大前提としてあった。 だからなのだろう。風の音楽性は僕自身ですら予想もつかない方向へと舵を切っていくことになる。 風を始動するにあたって、まずはどの曲をシングルとしてリリースするかという話が進められた。かぐや姫時代に作った「なごり雪」と「22才の別れ」が有力な候補だった。どちらも人気曲としてファンの間では認知されていたし、スタッフとしても計算が立ちやすいという面もあっただろう。僕としても、自信のある2曲だったので、このタイミングで世に出るのであればそれに越したことはないという感覚だった。 そこで、風の1stシングルとしては「22才の別れ」の方がふさわしいだろうということになった。一方で「なごり雪」は以前も触れたようにイルカさんがカバーをして日の目を見ることとなる。 予想どおりというか、「22才の別れ」はオリコンチャート1位を獲得し、ヒットした。何週連続で1位だったのかは憶えていないが、その座を奪ったのは布施明さんが歌った「シクラメンのかほり」だった。作詞作曲は小椋佳さんだ。よもやこんなタイミングで敬愛する小椋佳さんから痛烈な檄をいただくことになるとは……。 「22才の別れ」がヒットしたことは、僕により一層の自信を与えた。これで好きなことを好きなだけやってもいいのだと証明された──そういう気持ちだった。だから、風の1stアルバム『風ファーストアルバム』(1975年6月)に「22才の別れ」は収録しなかった。スタッフからはリクエストされたが、それを僕は断固として拒絶した。今だったら、1位を獲ったシングルをアルバムに入れないなんて判断はまずしないのだが、このときの僕の心情としては、「22才の別れ」はあくまでかぐや姫時代の曲という認識が強かった。風として新しい道へ踏み出したタイミングで、しかも大久保くんという相棒がいるなかで、風の音楽をきちんと提示したいという思いが前面に出た、僕としては当然の判断だった。