【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第8回)曲作りに没頭する日々
アルバムでも1位を獲ることができた。「22才の別れ」が入ってなくても1位を獲れたのだ。しかも、(このアルバムから)新たにレコーディングに参加してくれたのは、細野晴臣さんや松任谷正孝さんをはじめとするティン・パン・アレーの面々や山下達郎さんのやっていたシュガー・ベイブなど、当時の音楽シーンの最先端をいく人たちが新たに音楽的新風を吹き込んでくれました。そういう人たちと一緒にサウンドを作れたということも僕が音楽をやっていく上でかなり貴重な経験となった。 この頃から加速度的に僕は曲作りにのめり込むようになっていった。まるで自分自身を追い込むように曲作りに没頭していった。そうすることが楽しくて仕方がなかったのだ。というのもやはり、自分で「これはいける」と思った曲がヒットするという結果を手にすることができたからだ。 ツアーが終わると僕だけそのままギターケースを持って地方の旅館かどこかに行く。周りには今みたいにコンビニがあるわけでもないし部屋にはテレビすらない。ご飯を食べるか風呂に入るか、あとは曲を作るしかない。そんな状態に身を置くことが楽しかった。もちろん産みの苦しみというものは付き纏うので、苦しいのは苦しい。だけど、今の自分には曲を作る意外に楽しいことなんて何もないんだと思えることが充実の証だった。 夜中から明け方にかけて曲ができて、それが自分でも納得できるものだと何かと確かに繋がっているような感覚になれるのだ。この、できたばかりの曲を誰かがいつか夜中にヘッドフォンで聴いて、僕が表現したかった感覚を「これだ!」っていうふうにキャッチして、ドキッとしてくれる瞬間を僕はいつもワクワクしながら想像する。そういう人がふたりになり3人になり……やがて大きな輪になっていく。僕にとって“ヒットする”というのは、こういうことなのだと思う。 そして、僕が曲作りにのめり込めばのめり込むほど、風はデュオからだんだんユニットへと変貌を遂げざるを得なくなってくるのだった。 取材・構成:谷岡正浩