美術家・篠田桃紅の作品の糧となった「絶景」…大自然と墨絵の「意外な共通点」
「希望どおりにいかないのが現実。だけど思い出は、悲しかったことでも、楽しかったことでも、“ある”ということがとてもいいことだなと思いますね。」自由闊達かつ独創的な筆遣いで植物や天候の移ろい、人の感情を表現し数々の作品を生み出した美術家・篠田桃紅。そんな彼女を育んだ、特異な生い立ちとは。 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 大正デモクラシーから震災、空襲を経て現代に渡る自身の生涯をエッセイとともに綴る『これでおしまい』(篠田桃紅著)より一部抜粋してお届けする。 『これおしまい』連載第9回 『魅了されたのは「日本を代表する」あの風景…美術家・篠田桃紅が「なにがなんでも」行きたかった場所』より続く
富士の傍らに住む
縁あって、忍野村の土地を購入し、茅葺き屋根の家を建てます。 「何しろ富士山は美しいし、夏は涼しい。これはいいと思ったら、多少無理をしてでも、何をしてでも、私はそれをやっちゃうんですよ。お金もないのに土地を買っちゃうんですよ。借金ができれば、借りて買っちゃおうと。返すのは大変でしたよ。お金ができてからではもう遅い。思い切ってやっちゃった」 そして、50歳の誕生日に、神主に建前のお祓いをしてもらいます。ところが、山荘を建てた後で、その土地は保安林だったにもかかわらず、村が気づかずに売っていたことがわかります。 古い梁など一部を移築して、現在の山中湖村の高台に移り住みます。目の前には富士山がそびえ、眼下には一面の樹海が広がっています。大自然のなかから、鹿の家族がひょっこり姿を現して、目と鼻の先で横切っていく場面にも遭遇します。 「桃紅などに、こんないい場所を与えてもったいないと神様が思っているかも。そばで毎日のように富士を眺めていると、どうしてこんなに美しい山を自然はつくるんだろうと、本当に不思議な気がしますね。 赤富士になる前の、しらじらと夜が明けるか明けないかというときの、なんともいいようのない色。この世のものではないですよ。太陽が昇るにつれ赤く染まって、一刻一刻変わっていくの。夜、月の光に照らし出される真っ白な富士も、神々しくて、言葉にならない。 ある夜中に起きて、雪が降っているなか、雪煙が富士の中腹からさっと天に舞い上がるさまを見たときは、もう私はびっくり。この世にこういう凄い景色があるのかと。富士が3段に色が分けられて染まっているのも見たことがあります。 あれは忍野村にいたときの夕方で、上はきれいな朱色、その次は紫、下が緑。3色の富士はそのときが最初で最後。そのあとは全然出ない。あるいは出ているかもしれないけど、出合ったことはない。富士には毎回、驚きがあることと、いつ見ても美しいんです。飽きないですよ」