渋谷慶一郎プロデュースのアンドロイドオペラ「MIRROR」がアルバムに
渋谷慶一郎のニューアルバム「ATAK027 ANDROID OPERA MIRROR」が2025年2月21日にリリースされる。 【写真】演奏中のヒューマノイドロボットとオーケストラ。 AIを搭載したヒューマノイドロボットとオーケストラによるアンドロイドオペラ「MIRROR」をプロデュースし、これまでドバイやパリ、東京にて公演を行った渋谷。「ATAK027 ANDROID OPERA MIRROR」はアンドロイドオペラによる初の音楽作品で、舞台「MIRROR」のオーケストラアレンジ、ピアノ、電子音、ボーカルなどさまざまなサウンドを再構成したアルバムとなる。 また本日11月27日にはアルバム収録曲「I Come from the Moon(Android Opera ver.)」の先行配信がスタート。今後も複数の楽曲が先行リリースされる予定だ。さらに近日中にはYouTubeにてアンドロイドオペラ「MIRROR」東京公演の全編も公開される。 ■ 渋谷慶一郎 アルバムコンセプトテクスト □ 人間はわたしだけ-「ATAK027 ANDROID OPERA MIRROR」について 西洋音楽は人間中心主義で出来ている。 ここで言う西洋音楽とはヨーロッパで発祥したいわゆるクラシック音楽、オペラから英米で発祥したポップミュージック、ヒップホップまでの全てを含む。優れた歌手や指揮者と演奏家、ポップスターやラッパーがステージの中央に君臨し、そこで歌い語られるのは人間の生や性、愛と死と言った人間の物語であり、それに熱狂、恍惚とする聴衆という図式は数百年変わっていない。 しかし実際の人間社会は特に21世紀に入ってから様々な限界を露呈して終末に向かうスピードは加速しているように見える。この状況で人間中心主義による人間の物語に固執するよりは、違う可能性を模索する、もしくは人間後の世界を夢想する方が、この終わりに向かう世界に対する処方箋、ヒントとして有効な気がしている。世界は刻々と終わりに向かっている。アンドロイドオペラはその終わりと終わりの後の世界のバリエーションをAIを搭載したアンドロイドが人間のオーケストラを率いて歌う。 仮に世界が終わっても、そのプロセスと終わりの後の世界が美しければいいじゃないか?それを想像してアンドロイドとAIという終わらない進化を続ける存在が人間と一緒に世界の終わりと終わりの後を歌う。歌詞の大部分はGPTによって生成され、例外的にミッシェル・ウェルベックとヴィトゲンシュタインの著作の断片が歌われる。 この作品はパリ、東京、ドバイといったさまざまな都市で公演してきて、その度にオーケストレーション、エレクトロニクスのパートのバージョンアップを試みてきた。そしてアルバムをリリースするにあたって、オーケストラとライブレコーディングを試みたのだが、その結果に私は満足できなかった。 人間の歌手の代わりに人工合成されたシンセティックな声を持つアンドロイドのヴォーカルに対して人間のオーケストラによるライブレコーディングはあまりにも不完全で「終わりのシミュレーション」になり得てないと直感した。そして様々な試行錯誤と検討の後に辿り着いたのはオーケストラのパートを全てソフトウェアに入れ替えることだった。現在のオーケストラのソフトウェアはシミュレーションという意味では極めて高いレベルに達している。実際、耳で聴いて生のオーケストラと判別できる人は稀だろう。その中でも最高峰と思えるクオリティのオーケストラシュミレーションのソフトウェアを選び、スコアを改訂し全てのオーケストラパートをデジタルデータとして生成した。 そのデータをパリのスタジオで全てアナログのミックス卓に立ち上げ、人間のオーケストラのミックスダウンと同じようにEQ、コンプレッション、ディレイなど無数の処理を行いミックスダウンをした。同じスタジオで友人のミックスエンジニアであるフランソワとライブレコーディングによるミックスダウンの断念をしてから1年近くをかけてその作業は続いた。 つまりシュミレーションされた人工的なオーケストラのサウンドを通常人間のオーケストラや歌手が行うのと全く同じプロセスを行うという矛盾でこのアルバムは出来ている。 そして音楽が世界の終わりのシミュレーションである以上、サウンドの核となるオーケストラが人間のシミュレーションであるという共通項を持つことは奇跡的なバランスを生み出したと確信してミックスダウンは終わった。アンドロイドのヴォーカルは複数の声をミックスして出来ていて、人間のヴォーカルに劣らない情報量と人間とは違ったエモーショナルが存在しないロマンティシズムを目指した。オーケストラを人間から人工に変えた後で、その声は全面的にエディット編集することになった。 そしてピアノのパートだけは作曲者である私が全曲弾いている。 つまりそれが唯一のリアルな現実として音楽の中に存在している。 人間は私だけ、というのが世界の終わりに対峙する極北だとすれば、それがこのアルバムのコンセプトであり、「私」はこの音楽と対峙するあなたにもなり得るのだろう。 人工的に生成されたアンドロイドの声とオーケストラ、エレクトロニクスの中で最後の人間を表象するピアノは浮遊するように、しかし確実に存在しているのが聴こえると思う。