Jベストヤング賞、鹿島の安部裕葵に本田圭佑“系譜”
本田圭佑マネジメントクラブ傘下で育成
東京都出身の安部は、中学校へ進学した2011年春に清瀬市内で活動していた帝京FCジュニアユースへ加入。3年生へ進級する直前に、帝京FCジュニアユースは本田のマネジメント事務所HONDA ESTILOの傘下となり、チーム名称もS.T. FOOTBALL CLUBへと変わった。 図らずもS.T. FOOTBALL CLUBが輩出した初めてのJリーガーとなった安部だが、帝京FCジュニアユースの指導者が本田と懇意にしていた関係で本田の生き様や人生哲学を間接的に、あるときには練習場を訪れた本田自身から聞かされてきた。そのなかで最も印象に残っているフレーズがある。 「とにかく夢をもって、それを人に言って、自分の逃げ道をなくす。素晴らしい考え方だと思いましたし、同時に強い人間じゃなければできないことだと思いました」 プロになることから逆算しながら、高校進学を前に独自の道を選んだ。全国高校サッカー選手権にまだ出場したことがなかった広島県瀬戸内高校へ越境入学した理由は、3年生になる2016年に広島県がインターハイ開催地となる関係で、同県からの出場枠が2校になることが決まっていたからだ。 その意味で、2011年から3年連続でインターハイに出場していた広島県瀬戸内高校はベストの環境に映った。果たして、青写真通りに2位で地元開催のインターハイへ臨んだ安部は3ゴールをマーク。母校をベスト8に導き、自らも大会優秀選手に選出されてアントラーズからのオファーを勝ち取った。 今年1月に約7年半ぶりに復帰した元日本代表DF内田篤人を、最初に驚かせた若手も安部だった。ブンデスリーガの古豪シャルケにおけるキャリアが、あまりにもまぶしすぎるからか。遠慮がちに距離を取る若手が多かったなかで真っ先に、臆することなく話しかけた。 「海外から帰ってきた選手から、吸収しなければいけないものはたくさんあるので。だからこそ、積極的にコミュニケーションを取りたかった」 こう語る安部に、もっているものはすべて伝える姿勢を見せていた内田も目を細め、近い将来に海外へ旅立つ器の持ち主だとエールを送っている。 「自分から吸収しようという意欲というか、そういう力を感じるよね。もちろん技術も高いし、能力もあるし、性格的にもこのチームで収まる選手ではないと個人的には思っている」