「いいことやうれしいことだけを分かち合いたい」…庄野潤三さんの妻から娘へ、幸せの手紙800通
「誕生日のアップルパイ」(夏葉社)の題で刊行
『夕べの雲』などの小説を残した作家の庄野潤三さん(1921~2009年)は、家族とのかけがえのない日々を描いたことで知られる。その妻の千寿子さん(17年死去)が、長女の今村夏子さん(76)に800通を超す手紙を残していた。庄野文学にも通じる母娘の温かな手紙の一部は、『誕生日のアップルパイ』(夏葉社)の題で出版された。 【写真】「夕べの雲」は「平常心」を取り戻す リセットできる本
「おいしいレモンパイありがとうございます。何ておいしいパイでしょう。おいしかった!!」(1973年3月20日)
「本当にお互いに丈夫で、よく働いて、一族仲よくて、本当に本当に幸わせ(略)マムより お夏どんへ」(84年9月)
押しつけがましくなく、読む人を前向きにさせる内容の手紙の数々。深い母子の結びつきに驚かされる。
「第三の新人」として活躍
庄野さんは、大阪府生まれ。軍隊から復員後、教員などを経て作家となり、戦後文学史上は「第三の新人」の一人と位置づけられる。1955年に芥川賞を受賞後、61年に川崎市生田に移り住み、亡くなるまで半世紀ほど暮らし、執筆を続けた。家族を扱った作品が多く、中でも晩年は、『うさぎのミミリー』『けい子ちゃんのゆかた』など、家族や孫らとの日常を記す作品が、多くの人に愛された。
夏子さんによると、「うちの家は、町の豆腐屋さんたちと同じように家内制工業。規則正しく生活し、家族で協力して父を支え、読者を大切にしたい」と妻の千寿子さんは語り、夫や子どもに愛情を注いだという。
長女の夏子さんが70年に結婚し、家を出てから手紙が届くようになった。夏子さんは、「悪いことは自分の中で消化し、いいことやうれしいことを分かち合うのが母の流儀だった」と語る。食べ物が届いたお礼や身の回りの細々とした出来事、誕生日のお祝いなど、とりとめなくても心に残ることばかり書きつづった。
神奈川近代文学館で展覧会
手紙の存在は、夏葉社代表の島田潤一郎さん(48)が、横浜市の神奈川近代文学館で6月8日から始まった「庄野潤三展」の準備などの際に、夏子さんから知らされた。「私たちにはとてもまねできない家族の絆。母と娘のやり取りが、作家に精神的な影響を与えていた」と感銘を受けた。130通を選んで編集を進めた。