大大阪から輝き続ける大動脈 御堂筋 昭和100年 まちの今昔
御堂筋を挟んで東西に細長くのびる「中之島」。長さ約3キロ、最大幅約300メートルの狭隘(きょうあい)地が大阪の中核に変貌したのは明治以降だ。
「天下の台所」といわれた「大坂」では米市場に近い中之島に諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいた。その大きな敷地の存在が中之島に近代化をもたらす。
「それまで中心地だった船場は小さな家屋、商店が密集し、大規模改造は難しかった。大阪に緑が少ないのもそのため。中之島に公園ができたのは広い土地があったから」と大阪観光ボランティアガイド協会の松原繁さん。「お気に入りの建築物」という赤レンガの大阪市中央公会堂や意匠をこらした大阪府立中之島図書館には「巨額の建設資金を寄付した大阪の財界人たちの心意気を感じる」とたたえ、さらにこう語った。「(その後)御堂筋を中心に都市計画を進めた関市長は大阪中興の祖です」
■「人」中心の道へ
現在、御堂筋の南側では6車線のうち、東西の側道2車線を歩道にする工事が進行中だ。大阪市などは完成から80周年の平成29年、「御堂筋将来ビジョン」をまとめた。その中で打ち出したのが「世界最新モデルとなる、人中心のストリートへ」の推進。迫る大阪・関西万博に間に合わせるため、難波から北へ約1キロの歩道化工事が続く。
大空襲に耐え、戦後大阪復興の礎にもなった御堂筋の建物の多くは、瀟洒(しょうしゃ)な高層ビルへと姿を変えた。
それでも梅田から難波まで900本を超えるイチョウ並木は今も季節感を演出してくれる。来月末まで行われているイベント「光の饗宴」では、ライトアップされた御堂筋のきらめきが冬の夜を彩っている。
御堂筋は13年後の完成100周年に向け、フルモール(全面歩道)化が構想されている。「課題は多い」(大阪市建設局)が、御堂筋の未来が大阪を輝かせる-と期待したい。(河合洋成)