僕が見たかった青空・結成1周年波乱の成長記「100人いるかいないか」の会場から逆襲のリベンジ
昨年6月15日、メンバーをお披露目したアイドルグループ「僕が見たかった青空」が、結成1周年を迎えた。「乃木坂46公式ライバル」という十字架を背負って誕生したこの23人は、どんな道のりを歩いてきたのか。もっとも至近距離で見てきた記者が振り返る。 【関連写真】2作連続でセンターに抜擢、八木仁愛の撮り下ろしカット【5点】 6月22日、Zepp DiverCity Tokyoは活気に包まれていた。行われたのは、「僕が見たかった青空」(以下、僕青)の結成1周年記念ワンマンライブだ。会場は約2000人のファンで満員。若いファンも目立つ。それは、1年前には考えられない光景だった。 昨年6月15日、この会場では「乃木坂46公式ライバル メンバー発表会」が行われた。今を時めく乃木坂46のライバルとはどんなものだろうと、数百人のメディア関係者が訪れた。お披露目されたメンバーは23人。不安と緊張で泣きだすメンバーが何人かいた。グループ名にちなんだ、青と白の制服衣装が目にまぶしかった。 僕青の注目度は高かった。すぐさまフジテレビ主催の大型イベント「お台場冒険王2023」のオフィシャルサポーターに就任した。同局で冠番組が始まった。世界最大のアイドルイベント「TOKYO IDOL FESTIVAL2023」では好待遇でパフォーマンスした。ラジオ番組も何本かスタートした。 僕青は順風満帆かと思われた。ところが、雲行きは怪しくなる。8月に発売されたデビュー曲『青空について考える』のスペシャルイベントで会場がまったく埋まらなかったのだ。 東京と大阪で開催されたこのイベント、センターの八木仁愛はZepp DiverCity TOKYOでのライブでこう振り返った。 「その時、来てくださった方は100人いるかいないか、くらいで。私たちの今の実力ってこんな感じなんだなと現状を実感した」
盤石の態勢でデビューしたにもかかわらず
盤石の態勢でデビューしたにもかかわらず、ファンがついてこなかった。メンバーたちはこれ以上ない不安に襲われた。その不安は、日本レコード大賞新人賞を獲得しても晴れることはなかった。 100人いるかいないか――。関係者によれば、集まったファンは2桁だったという。これでは乃木坂46の公式ライバルだなんて名乗れない。あちらは東京ドームを余裕で埋めることができるモンスターグループだ。 今は足元を固めるしかない。メンバーもスタッフもそう感じたはず。僕青は地道に活動していくしかなかった。 そうはいっても、ファン以外の層に訴求する手を打たなくてはいけない。年明けに発売された2ndシングル『卒業まで』の期間、僕青は「卒業までにっき」という動画をTikTokに上げ続けた。アイドルグループであることを隠して、高校を卒業する直前の高3の日常を切り取った動画は、若い世代に届いた。951万回再生された動画もある。それが功を奏してか、今年に入ってから10代後半から20代前半の女性ファンが会場に駆けつけるようになった。 その他のメディア露出なども相まって、ファンは着実に増えてきた。「100人いるかいないか」だった会場が、200人規模→400人規模→800人規模と倍々ゲームで箱が大きくなってきた。そして、1周年ライブでは2000人に到達した。 8月30日、僕青はリベンジマッチに打って出る。東京・豊洲PITでイベントを開催するのだ。この豊洲PITこそ「100人いるかいないか」の会場だ。スタンディング時は約3100人。この過去最大の会場を埋めることができたら、青空が見えてくるだろう。逆襲はこれから始まる。
犬飼 華