釜石・野田武則市長の会見(全文3/完・質疑応答)復興の状況について
3.11、昭和8年、明治29年の津波の高さについて
通訳:まずは津波の高さについてなんですけれども、3.11の津波の高さ、そして昭和8年、そして明治29年の津波の高さについて教えてください。 野田:そうですね、明治29年の津波の記録っていうのは、ちょっと正確なところはないんですが、おそらく推定するところでは10メーターぐらいだろうと言われております。昭和8年はそれよりちょっと低かったんですけども、おそらく5メーターぐらいあったと思います。今回の3.11の津波の高さは湾によってちょっと違うんですね。で、先ほど申し上げました、湾口防波堤がある釜石の中心街は約10メーターでした。たぶん沖合では20メーターぐらいの津波が来てたと思うんですが、さっき申し上げましたとおり、湾口防波堤の効果ということで10メーターぐらい。 それと、釜石の中心部は、湾口防波堤のところは10メーターという話、いま、しましたけども、湾口防波堤のない、いわゆる大槌湾ですね。鵜住居の防災センターとか、あるいは学校の子どもたちが避難行動したところはだいたい20メーターぐらいの津波がありました。ですから湾によって、湾の形によって津波の高さがだいぶ違ってきてますので、一概に何メーターっていうことは言えないんですけども、少なくとも明治29年、昭和8年よりはずっと高かったと言えると思います。
復興公営住宅で不便なところは空き家になっている
通訳:最近、新聞で読んだことなんですけど、岩手県のほうの新しくできた公営住宅の約15%ぐらいがいま、誰も住んでいないという状況が新聞で報道されたんですけれども、それはやはり家賃などが無償となっている住宅に残って、それで新しくできたところに移動したくないというようなことが最近報道されていたんですけども、釜石の状況について教えてください。 野田:そうですね、釜石は冒頭申し上げました、1300戸の復興公営住宅を造りたいということで、いま、建設をしております。いま、だいたい400戸ぐらい完成しておりますけれども、全て、その1300戸の誰が入るかという入居はもうすでに決まってまして、要は抽選会して、まだ造ってないところまで、誰が住むかというのはもう決まっているんですけども、そうでない実は場所もありまして、今ご指摘のとおり、なかなか交通の便が悪いとか、近くに買い物をする店がないとか、俗に言う不便なところはやっぱり空いてるところがございまして、これ、常時募集をしてるんですけども、空いてます。数で言うと、たぶん30か40戸ぐらい空いてるかと思います。 記者7:Thank you very much. And good luck for Kamaishi. 通訳:ありがとうございます。そして応援しております。